今日のマーケッター達は、コンテンツを創作し始めなければいずれ競争から脱落してしまうだろう、という恐怖のストーリーを、クライアントに話すことに忙しい。私は手を挙げ、そして恥ずかしさから頭を下げる。コンテンツは、囚われの聴衆のために作られる必要があり、私たちはここでインチキを本当だと信じ込ませているのかもしれない。ブランドはもっとパブリッシャーのように行動すべきなのか?そうだ、彼らはそうすべきだが、私たちはこの状況をしっかりと観察しなければならない。私たちはブランドに多くを要求している。私たちは、ブランドにコンテンツを作るように話す。短いコンテンツ(Twitter)も長いコンテンツ(ブログ)もだ。私たちはブランドに動画を作るように言い(それらをYouTubeとVimeoに投稿すれば、たった60秒もかからない!)、また、独自のラジオ番組を作るよう説得する(ポッドキャストは、今でもブランドにとって大きなチャンスなのだ!)。
広告には何の意味があるのか?広告の機能は気付きを生み出すことだ。消費者は新しい種類のトイレットペーパーがいつ発売されるのかを知る必要がある。もし私たちが、彼らが地元の商店に行く度にトイレットペーパーの棚にある全ての製品を見ていると信じるなら、広告を出す必要はないのだ。代わりに、私たちはそのメッセージを目立たせ、独自のスペースを確保する必要がある。この新しい種類のトイレットペーパーは他のトイレットペーパーよりも目立たなければならない。その他に、共有すべき追加の情報は何かあるだろうか?他のブランド、製品、サービスがみんな、自分たちが存在することを知らせるためにあなたの注意を引く必要があるという同じ認識になったのは、トイレットペーパー会社の責任なのだろうか?そのためにFacebookページが必要なのか?そのためにモバイルアプリが必要なのか?コンテンツは、認識を生じさせるには素晴らしい手段だが、このタイプの認識は、さらに特別な種類の意味と深みを持つ必要がある。なぜか?広告に殺到する同じ消費者が、コンテンツに殺到することはないからだ。消費者は既に大量のメッセージを受信している。
何故なら、ブランドが自らコンテンツをキュレートしたりコンテンツを配信し、ブランドがメディアと化した世界では、私たちマーケッターは一歩下がって、“私たちはあまりに多くのことを消費者に要求しすぎてはいないだろうか?”と自問自答することが重要だからだ。その他にも、私たちは、まだ自分の消費者になっていない人達にさえも要求しているのではないか?これは、誰もがテキストや画像やオーディオや動画の中で無料で簡単に自分の考えを世界に配信することができる世界で起きることだ。それは、他の全てのブランドがプールに飛び込んでいるからといって自分もプールに飛び込むゲームになる。
よくても平凡、安っぽい結果になる可能性が高い。ソーシャルウェブの前に、あなたは、PR記事を読んであまりに魅力的なために雑誌(または新聞)を切り抜いて友達や同僚に共有せずにはいられなかったことがどれくらいあっただろうか?そんなストーリーを思い起こすのは自分自身でも簡単ではないのだ(もしそういうことがあったなら、下のコメント欄で共有してほしい)。自分のコンテンツの質が生み出している量とマッチしないことを認めるほど軽率な会社はとても少ない。カンファレンスホールの建物の裏側を歩き、トレードショーのフロアが閉鎖された後すぐに置きっぱなしにされた企業の白書や証言広告や記事が入ったバッグやゴミ箱を見たことがあるだろうか?あなたは1つの言い訳としてあまりに多くの部数を持ち込み過ぎたせいにすることはできるが、コンテンツが魅力的ではなかったというのが悲しい現実なのだ。
つべこべ言わず、コンテンツを葬るのだ。配信ボタンから離れ、一息つくのだ。コンテンツカレンダーを見たり、自分の組織内の誰かにもっと頻繁にツイートするように怒鳴る代わりに、15分の休憩を取り自分自身に1つの質問をするのだ:私たちはどんな素晴らしいストーリーを伝えることができるのか?コンテンツを最終段階として考えるのを止め、コンテンツは入れ物であってあなたが伝えるストーリーに真の価値があると考えるのだ(たとえほんの一瞬の間でも)。あなたはAppleがそれほどソーシャルでないことで責めることはできるが、彼らのブランドや製品が素晴らしいストーリーを伝えていることは否定できない。同じことが、私たちが毎日サクセスストーリーとして強調しているブランドにも当てはまる。Zapposは、幸せを生み出すことに関する素晴らしいストーリーを伝える。BlendTecは、私たちの愛する物がどのようにしてブレンダ―の中で壊されるのかについてのストーリーを伝えることによって私たちを笑わせる。Dellは、コンピュータをただ売ろうとするのではなく、テクノロジーを使用する(そして理解する)ことにあなたが上手になるのを手助けする人々をオンラインに用意している。
マーケッターは、最高の広告とはストーリーを伝える広告だと言うことが多いだろう。あなたは、“そんなの当たり前じゃないか、私の知らないことを教えてくれ”と簡単に言い返すことはできるが、自分のマーケティングマテリアルの全てを冷静な目で厳しく見て、自分が伝えられる価値のあるストーリーを伝えているのか、それともただ何かを販売するためだけにストーリーを伝えているのか、自分自身に尋ねてみるのだ。個人的には、ブランドとコンテンツ、そして優れたストーリーの関係は、まさに良くなり始めているところだと思っている。今日、様々なツールやチャンネル、配信プラットフォームが存在し、魔法は起こりうる(そして、世界に知ってもらうために広告スペースを買う必要さえない)。私の希望は、ブランドが、他の皆がしているからという理由だけで、もしくは誰かにコンテンツが全てだと教えられたからという理由でブログを書いたりツイートをする人に投資をする代わりに、優れたストーリーに再投資し始めることだ。
コンテンツが全てではない。ストーリーが全てなのだ。優れたストーリーが全てなのだ。さあ、優れたストーリーを作り出そう。
筆者について:ミッチ・ジョエルは数々の受賞歴を誇るカナダ発のデジタルマーケティング/コミュニケーションエージェンシー、Twist Imageの代表です。2008年にはカナダで最もソーシャルメディア上で影響力のある人物、そして40歳以下で最も有名な40人の一人、さらに世界で最も影響力のあるオンラインマーケッター100人の一人に選ばれました。著書である「Six Pixels of Separation」(Grand Central Publishing – Hachette Book Group)は、ビジネス/マーケティング書として英語圏で大ベストセラーになっています。ミッチのブログはこちらから。
この記事は、Six Pixels of Separationに掲載された「The Drug Of Content」を翻訳した内容です。
特にウェブでコンテンツマーケティングを語る場合は、ついつい手法やテクニック論に走りがちですが、企業やブランドに問われている本質は、ストーリーの有無の問題であり、ストーリーこそが顧客を引き寄せ、顧客を魅了し続ける最重要要素であり、コンテンツマーケティングはそれをアピールするための単なる手法に過ぎないことを深く認識すべきなのでしょう。巧みなコンテンツマーケティングでブランドに下駄を履かせて本来の価値以上にアピールすることも、ある程度までは可能かもしれませんが、自身を見つめ直し、語るべき、語られるべきストーリーをいかに生み出していけるかどうかが、このコンテンツブームが終わった後に勝者として生き残れるかどうかを左右する要素かもしれません。 — SEO Japan [G+]
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