スティーブ・ジョブズがAppleのCEOを退任し、後継者のティム・クックがその地位を引き継ぐという先日の発表は意外なものではなかった。私達は、ジョブズが健康上の理由で最初に休職して以来、この日が来ることを予期していたし、Appleの後継計画については多くの議論がなされてきた。しかし、それでもそれが大きなニュースであることに違いはないし、投げかけたい疑問や考えるべき疑問はたくさんある。
こんなにも重要な時代の終焉において最も大切なことは、恐らく、その時代をじっくり省みてそこで成し遂げたことを見直すことだろう。その基準点なしでは、これからの数年クックがどれ位うまくやっているかを判断するのは難しい。クックにとっては残念なことだが、優秀だった前任者の後任として担っている責任はとても重い。ジョブズは、テクノロジーのビジネスにおいて、超人的とも言えるほどの技をやってのけてきたのだ。
1976年4月1日、スティーブ・ジョブズはスティーブ・ウォズニアックとロナルド・ウェインとAppleを設立し、コンピューターキット、Apple I の販売を始めた。西部劇に登場する派手な小道具のような美的魅力を持ったAppleⅠは、その他の趣味コンピューターがキットの形でしか販売されていなかった時に、初めて完全に組み立てられたサーキットボードとして販売された。ウォズが販売前にそれらを自らの手で組み立てていたのだ。
翌年の1977年初め、Appleは法人化された。ほとんど忘れ去られたままの共同設立者のロナルド・ウェインは、たったの800ドルでジョブズとウォズに会社の株を売り戻した。ウェインは、わずかな差で大富豪になるチャンスを逃したのである。
Apple Iが市場に紹介されたちょうど1年後の1997年4月、AppleはApple IIの販売を始めた。ジョブズとウォズは、カラーグラフィックスとオープンアーキテクチャを入れることによって主要な競合他社の先を行った。Apple II は、スプレッドシートアプリVisiCalcのターゲットプラットフォームとして選ばれるまではむちゃくちゃに売れているわけではかった。これによって、このプラットフォームが仕事の機器との互換性を求めた家庭ユーザーと企業の間で人気となった。VisiCalcがApple IIの成功の道を開き、魅力的なアプリの価値を早くにジョブに教えたのだった。
Appleは、グラフィカルなユーザーインターフェースを考案した功績があると考えられることがしばしばある。しかし、そうではなかった。ジョブズが何人かのAppleの従業員と共に、革命的なGUIを持ったXerox Altoを調査するためにXerox PARCを訪れた時には、ジョブズはこれがコンピューターの未来だと知っていた。Appleは、株式公開前の価格で株を買う選択権と引き換えにそのマシンとPARCの設備に3日間アクセスすることを交渉し、Apple Lisaプロジェクトにその知識を利用し始めた。
ジョブズのあのしゃくに触る人格を示す早くからの例として、ジョブズは、Lisaプロジェクトに力を注いで4年が経った1982年にこのプロジェクトを追い出された。彼は、Lisaのような高価なデバイスに対する安価な代替案に取り組んでいるMacintoshプロジェクトのチームに移動した。二つのチームは、ジョブズにけしかけられて、お互いに最初に市場に出すことを競い合って発展した。
LisaチームがMacintoshチームに勝ったものの、Lisaは大失敗に終わった。Macintoshが市場に出ると、その低価格と革命的なGUIによってヒットしたのだ。
1985年、ジョブズとCEOのジョン・スカリーが、ジョブズのお金のかかる試行的なプロジェクトをめぐって争い始めた。ジョブズがスカリーを排除しようとする試みに失敗すると、理事会はジョブズから経営幹部の地位を剥奪した。ジョブズはすぐに辞職して、ハイエンドなコンピューターとソフトウェアを作るNeXT Incを始めた。
NeXTは商業的には失敗したが、そのソフトウェアは革新的だった。1996年末、Appleはこの会社を買収するために4億2900万ドルと150万ドルのAppleの株を支払った。この取引は、ジョブズがキャッシュを獲得しないように計画されたものだったが、彼は150万ドルのAppleの株を全て手に入れた。Appleの主な目的は、NeXTSTEPオペレーションシステムを買収してそれを自社の次のオペレーティングシステムの基盤にすることだった。ジョブズは、コンサルタントとしてこの買収と共にやって来て、3年間で最安値の株価と損失の増加をもたらしたギル・アメリオを理事会が排除した後、1997年には臨時CEOとして介入した。“臨時の”CEOとして3年が経った2000年、ジョブズは正式にCEOの地位を手に入れた。彼は自分が作ったにも関わらずその地位を追われた会社の責任者として再び戻って来たのだ。
ジョブズはNeXTでユニークな企業文化を築いた。とげのある男で製品にばかり目を向けて特に思いやりがあるわけでもないという彼の評判にも関わらず、彼は、配偶者だけでなく同性愛カップルにまで健康保険給付金を拡大するなど、時代に先駆けて社会的文化的決断をした。これは、彼がAppleに持ってきた姿勢であり、社会的に進歩的で需要的な会社として広く知られている。それは、Appleの新しいCEOティム・クックがゲイであることを語っているのかもしれないしそうではないかもしれないが、ゲイの男性が世界最大の会社の1つを経営するなど昔なら想像しがたいことだった。
1997年、ジョブズは悪魔のMicrosoftとの取引をまとめた。多くの人がこの取引は、ジョブズが戻って来た時に会社が陥っていたお粗末な状況の結果、破産寸前となったAppleが生き残るための手段だったと見ている。Microsoftは、投票権のない株式と交換で、Appleが切望していたお金、1億5000万ドルを投資し、Mac用にMicrosoft Officeの新バージョンをリリースすることに同意した。
さらに同じ年に、ジョブズはeコマースの高まりに先駆け、さまざまな製品を顧客に届ける受注生産戦略を使ったオンラインストア、Appleストアをオープンした。
1998年、AppleはiMacを発表した。Appleにおけるジョブズの戦略は、コンピューターをユーザーの生活のデジタルハブ、つまりインターネット世代と共にやって来るデジタルなライフスタイルの中心にすることだった。iMacはオールインワンコンピューターで、ジョナサン・アイブが率いるデザインチームの最初のアップル製品だった。アイブは、PowerBook G4、Cube、 MacBook、ユニボディのMacBook Pro、MacBook Air、iPhone、iPadのアイコニックなデザインを導き出し、ジョブズの中心的チームの1人となっていく。
ジョブズは、その創造力に富んだ市場を、顧客であり伝道者であるユーザーの重要なニッチとして特定した。今日でも、WindowsのコンピューターよりもMacを使っているデザイナーやデベロッパーやミュージシャンやその家族を見つけるのは簡単だ。Appleは、そのオーディエンスを固めるためにさまざまな戦略的買収をした。Macromedia社のFinal Cutを購入して、その製品をiMovieとFinal Cut Proに変えた。Shakeという製品のためにNothing Real社を買収し、ShakeはFinal Cut Proの一部となり、Emagic社のLogicは、GarageBand、Logic Express、Logic Proとなった。iPhotoの内部開発に加え、これがAppleにプロフェッショナルな製作者や消費者のためのアプリケーションの広がりを与えた。iLifeは、OS Xを搭載したMacの主なセールスポイントの1つになっていく。
NeXT OPENSTEPとBSD UnixのコンビネーションであるMac OS Xは、2001年3月24日に登場した。スティーブ・ジョブズは、Mac OS Xを発表するイベントでMac OS 9のドラマチックな告別式を演出し、OS XがAppleの歴史において全く新しい局面を示すことを明らかにした。
数カ月後、Appleはまた別のジョブズのプロジェクトを発表した:今ではアイコニックな小売りチェーンとなり、(お世辞たらたらで有名なGenius Barのスタッフにもかかわらず)他の小売店のベンチマークにもなっているAppleの販売店だ。最初のストアは、バージニアとカリフォルニアでお目見えした。
2001年10月23日、AppleはiPodを発表した。6年間で1億台を販売し、(Creative ZENプレイヤーを除き、先に悲惨な状況にあった)MP3プレイヤーの事実上のスタンダードとなったiPodは、Appleが最も成功した製品の1つとなる。
2003年、AppleのiTunesストアが始まり、ユーザーは1曲0.99ドルで歌を購入して自分のiPodと簡単にシンクさせることができるようになった。それはすぐにこの市場で最大のオンライン音楽小売店となり、その地位を守り続け、そして次第にブリック・アンド・モルタル・ストアの頂上にも登った。iPodと共に、iTunesストアは全ての人の音楽の聴き方を変えたのだ。
イメージクレジット: Chris Harrison.
この段階までに、ジョブズは、この市場で機能する革新的なアイディアへの鋭い感覚―たとえ観衆には常識外れに見えるとしても―と、どんな競合相手よりも優れたビジョンを示してきた。Appleの株がまだ手が出る価格の時にこのことに気が付いた投資家達は今、自分の島を所有していることだろう。
ジョブズは、2005年から2006年にかけてAppleのIntel CPUへの移行を、MacBook ProとiMacになるIntel CPUを搭載した最初の製品と共に監督した。この移行は2007年後半に終わることが予測されていたが、2006年8月7日には完了した。Intelに移行する理由は多くあったが、Appleにとって戦略的に有益であることが証明されていた1つの理由は、これらのコンピューターのWindowsで実行できる能力だった。AppleはBoot Campを作って、用心深いがMacの未知の世界に興味を持った消費者に、移行は彼らが思う以上に簡単であると安心させてこの機能を売り込んだ。
2003年、Appleは1株6ドルの価値だったが、2006年には1株80ドルの価値になった。その時価総額は、Appleが素晴らしいとはいえないような時代にCEOがAppleの存続を批判していたDellよりも大きかった。
2007年、ジョブズは、Apple Computer, Inc. がよりシンプルなApple Inc. となることを発表した。それは、この会社が家庭用電化製品とモバイルデバイスに進出することを示す意味深な行為だった。同じイベントで、AppleはiPhoneとApple TVも発表した。iPhoneは、数年前からどんな噂よりも出回っていた噂のデバイスだったし、iTunesストアのデジタルメディア戦略をテレビに持ちこんだApple TVは、この日までそれが示す新しいアイディアがあまり評価されていない製品だった。Appleは、セットトップボックスを外す難しさを認識していたし、そのまあまあの出来ににも関わらずApple TVは趣味だといつも言っていた。
iPhone 3Gの発表と共に、Appleは、iPhoneやiPod Touch用のサードパーティアプリをデベロッパーが販売することを許可したアプリストアを導入した。最初の月で、アプリストアは3000万ドル近くを売り上げた。2008年末には、Appleは世界で3番目に大きな携帯電話サプライヤーとなった。
不況の真っただ中、他の企業が多くの従業員を解雇している時、Appleは休業日なしの最高の4半期を報告した。もしジョブズが会社を手にした時に会社の焦点を転換していなかったら、Appleも大損害を受けていたことだろう。
2009年初めの記録的な4半期以来、iPhone 4からiCloudまで、Appleは多くの重要な製品をリリースしたり発表したりしてきた。しかし、iPhoneとアプリストア以降で最も重要な画期的な製品がiPadである。iPadは、長くタブレットのフォームファクターに強い関心を持ってきたが、これまでのところは粗末なタッチペンを個人的に軽蔑して既存のPCのような余地がないと思っていたジョブズが長年暖めてきた計画であることは良く知られている。
2010年に彼がiPadを発表した時、私達はジョブズの細部への個人的な干渉と関心の長年の結果を、恐らくジョブズがニュートンを打ち切った1998年まで遡って、見ていた。ニュートンは献身的なユーザー基盤を持っていたため、それは多くの怒りを買う動きだった。今私達はジョブズの頭の中にあることを知っている。
ジョブズはウォズニアックと共に、今日知られているパーソナルコンピューターを作った。その後、ジョブズは、死にかけた会社を実益のある会社へと転換し、革新的な新しいオペレーションシステムと競合他社よりも早く進化し続ける最先端のコンピューターのコレクションを導入し、デジタル音楽産業を改革し、競争が激しく参入が難しい携帯電話市場に突然飛び込んで混乱させ、かつては小さいけれどプロフェッショナルな使用に十分な作業量に欠けるコンピューターで知られていた超軽量型市場を変えたMacbook Airを私達にもたらした。
しかし、最も記憶に残ることは、サブPCデバイスの新しい形、iPadの製作である。iPadは、パッとしないタブレット分野を日々新しいユーザーで盛況な消費者市場に転換した。そして、iPadはこの競争を支配し続けている。
マイケル・デルが、まだ投資家に返すものがあるうちに閉めるべきだと言ったゆっくりと朽ちている会社は、今年、エクソンをしのぐ世界で最も価値の高い会社になり、アメリカ政府よりも数10億以上多くの資金を持っている。そして、それは全てスティーブ・ジョブズのおかげなのだ。
この記事は、The Next Webに掲載された「Steve Jobs: a remarkable 35 years changing the face of technology」を翻訳した内容です。
90年代以前の懐かしい話から始まり90年代の試行錯誤、そして2000年代のApple快進撃までApple、そしてジョブスの歴史が良くまとまった記事でした。余りジョブスの過去に詳しくなかった方もこれを読んで改めてジョブスの凄さを感じられたかもしれません。しかしAppleがApple ComputerからAppleに社名を変えたことは恥ずかしながら知りませんでした・・・。今の製品ラインアップを見るに確かに正しい選択と思えますが。後は筆者がiPadを最も評価していたのも興味深かったですね。日本ではiPadの一般普及はまだまだこれからという気もしますが、さて今後のジョブス後のApple、どこまで世界を席巻できるでしょうか? — SEO Japan
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