これからコンテンツマーケティング(現在、最も大きな注目を集めているマーケティングのトレンド)が、多くの企業にとって長期的な戦略には向いていない理由を説明していく。
経済に関する良質な議論に共通することだが、私の考えは、供給と需要と言う非常にシンプルな概念に基づいている。供給が需要を上回ると、価格は下落する。しかし、コンテンツマーケティングの世界では価格が下がることはない。なぜなら、コンテンツの「価格」は既に0円だからだ。そう、私達はコンテンツを無料で提供しているのだ。つまり、コンテンツを見てもらうために、実際にはコンテンツを作る側がお金を払っていることになる。また、コンテンツの供給が爆発的に増加するにつれ、限界までコンテンツの量を増やすために、顧客にさらに多くの額を支払わなければならない。
お金を払ってコンテンツを見てもらう…無茶苦茶なことを言っている、と思うかもしれないが、既にその無茶苦茶なことを私達は実施している。これから詳しく説明していく。
目次
1997年、初めて仕事用のラップトップコンピュータを手に入れた。このコンピュータ、Gridはまるでレンガのようなデザインであった。家にこのコンピュータを持ち帰り、電話回線に接続すると、あの忘れ難きAOLならではのキーキー & シューシューと言う音が鳴り、私はインターネットに初めてアクセスした。
僅かなコンテンツを調査していると、NASAの写真付きのファイルを発見した。リンクをクリックすると、5分がかりで写真がスクリーンにダウンロードされていった。
この発見に興奮した私は「早く!こっちに来て!電話線を通して写真が送られてきたんだ!」と妻と子供を大声で呼んだ。
当時 — あらゆる — コンテンツにアクセスすることが出来る力は、感動ものであった、。コンテンツに飢え、この新しい電子の経路を通して得られるもの全てに私達は驚いていた。
ここで、2009年まで時計の針を進める。私が本格的なコンテンツクリエイターになった年だ。当時、ウェブにはコンテンツを置くスペースが割と空いていた。Red Bullはメディア会社ではなく、飲み物の会社であり、Chipotleはメキシコ料理のレストランであり、クレイアニメのスタジオではなかった。また、ブロガーの人数は現在と比べて1/3程度で、ポッドキャスト、動画、Pinterest、Facebook、そして、Instagramのクリエイターに関しては、さらに少なかった。
2009年、ブログの読者に読んでもらうコンテンツを作るため、5時間を私は費やしていた。競合するコンテンツが少ないだけでなく、目を通してもらえるコンテンツが劇的に増えていったため(ウェブ、ソーシャルメディア、そして、モバイルデバイスへと読者が詰めかけ、コンテンツを読む時間が増えていったことが要因)、実に幸せな時代であった。
仮定の話として、私が仕事に費やす1時間には100ドルの価値があるとする。つまり、5時間コンテンツの作成に費やしていた2009年、私は毎週500ドルを読者に「支払っていた」。この取り組みから得られる新しい仕事の価値は、この投資を大幅に上回っており、経済的に見て妥当な取り組みであった。
さらに時計の針を、今度は2014年まで進める。まず、コンテンツマーケティングの仕組みに影響を与える2つの要素を確認していく — 提供されているコンテンツの量 & 消化されるコンテンツ(供給と需要)。
ご存知のように、無料のコンテンツは爆発的なペースで激増している。調査によって差はあるものの、提供されているウェブベースのコンテンツ(供給)は9-24ヶ月間で倍増していると言われている。想像を絶する量のコンテンツがウェブには存在することになる。
しかし、コンテンツを消化する力(需要)には限界がある。時間は限られており、たとえ食事中、仕事中、運転中にコンテンツを消化しても、論理的、そして、絶対的な限度があり、現在、その限度に近づきつつある。
限度のあるコンテンツの消化と増え続けるコンテンツの量が交わる時、私がコンテンツショックと呼ぶ現象が発生する。コンテンツの供給が飛躍的に増加し、コンテンツの需要が横ばいの状態だと、個人、会社、そして、ブランドは同じ量のコンテンツを見てもらうために、消化する側にさらに多くの金額を「支払わなければならなくなる」。
そして、まさにこの現象が今起きているのだ。
次々に作り出される素晴らしいコンテンツに私達は晒されている。単純に私のことを考えてもらい、ブログにアクセスしてもらうため、私は以前よりも遥かに良質なコンテンツを作成しなければならない — 当然、そのためには大幅に長い時間をかける必要がある。2013年と同じ人数の読者を維持するために、2014年には著しく高いレートで「読む代」を支払うことが求められている。
このグラフを見る限り、消化が、生産されるコンテンツの量とほぼ同じ場合、マーケティングの効果は十分にあると言える。
コンテンツを消化する力は、テクノロジーの革新と共に順調に伸びている。ラジオ、テレビ、そして、インターネットの登場により、会話と趣味を犠牲にしながら、コンテンツの消化量は右肩上がりに増えていった。最近では、モバイルデバイスの台頭により、デスクはもちろんのこと家に縛られることはなくなり、1日にコンテンツを消化する時間は2時間も増えたのであった。Nielsenによると、アメリカ人は平均で1日に10時間のコンテンツを消化しているようだ。
しかし、この消化の増加ペースを維持することは不可能である。消化することが出来るコンテンツの量には、肉体的な、避けることの出来ない限界が存在する。マーケッターは、この消化のトレンドは際限なく続くと錯覚していた。しかし、不可能であったことは明白だった。コンテンツショックは近づいており、危険なゾーンへと私達は足を踏み入れつつある。
コンテンツのクリエイター、マーケッター、そして、会社は、程度に多少の差はあれど、崖っぷちに立たされており、その影響は計り知れないほど大きい。
まず、新たなメディアのチャンネルが生まれると、最初は荒削りで「ローカル」のコンテンツが投稿される。しかし、最終的に成功を収めるのは資金力のあるコンテンツクリエイターである。 例えば、テレビが作られて間もない頃、地方の番組が多数放映されていた(今のブロガーのような存在だと言えるかもしれない)。料理番組、クイズ番組、そして、バラエティ番組はローカルタレントを起用していた。現在、テレビでは「ローカル」なコンテンツは事実上ゼロに等しい。企業が乗っ取ったためだ。
5年前にYouTubeで人気の高かった動画は、「ローカルで作られた」ホームビデオであった。現在、大半の人気の高い動画は、巧妙に作られた映画やミュージックビデオばかりだ。
時間の経過とともに、注目を得るために払う額が増えると、低予算のコンテンツクリエイターは、消費者から忘れ去られるようになる。
「良質なコンテンツが頂点に昇りつめる」時代は終わった。現在、広告、宣伝、そして、配信戦略がコンテンツ自体の重要性を上回っている。
小さな分野のマーケットでさえ、多くの資金を持つ者が勝つトレンドが生じている。コンテンツでマーケットを圧倒することが可能な企業は、競合者が参入する際のハードルを上げ、主要な検索結果から競合者を排除することが可能になる。つまり、成功したマーケッターは競合者に対してコンテンツショックを作り出すと言える。
このように、コンテンツショックの2つ目の影響は、多くの会社にとって、マーケットに参入する際のハードルが非常に高くなってしまうことだ。2009年の段階では、ブログを始め、ある程度の人数の読者を獲得するのは割と簡単だった。同分野のコンテンツクリエイターが少なかったためだ。供給は低く、需要は高かった。コンテンツショックの時代に、小さな事業はどのようにオーディエンスを増やしていけば良いのだろうか?このタスクは日に日に難しくなっていると言わざるを得ない。
コンテンツショックによって生まれたお金の流れにより、やがて、大勢のコンテンツマーケッターは優先順位と戦略を調整しなければならくなる。
再び、2009年に500ドル/週を読者に支払っていたと仮定する。その場合、現在は、2009年よりも質の高いコンテンツを多く作って、注目を集めなければならないプレッシャーに晒されているため、1500ドル/週を支払っている可能性がある。コンテンツショックの波に飲まれ、来年は3000ドル/週に上がっている可能性がある。いずれ、「支出」は「収入」を上回る額に達し、そうなるとコンテンツの作成は私自身、そして、多くの会社にとって賢いビジネスの判断とは言えなくなる。
数週間前、Facebookがビジネス向けのブログでコンテンツショックの仕組みに少し触れていた。この記事は、ユーザーのニュースフィードで見てもらうためコンテンツの量が激増したことにより、コンテンツを自然にファンに届けにくくなる、と率直に指摘していた。現在、多くの企業の自然なリーチは10%を下回り、一年前と比べて半減している。
コンテンツショックは理論ではない。コンテンツショックは目の前で起きている。Facebookのリーチが大幅に落ちたことが、何よりの証拠だ。
コンテンツショックの時代が幕を開けた。コンテンツマーケティング版の地球温暖化は目前に迫っている。
「世界をコンテンツで埋め尽くす」タイプのマーケティングは、多くの会社にとって長期的に有望な戦略とは言えなくなる日が必ずやって来る。
コンテンツマーケティングは健在だ。「ショック」が発生する経緯、そして、タイミングは会社、業界、そして、当該の分野におけるコンテンツの飽和状態、その他の多くの要素に左右される。数年後にコンテンツショックに見舞われる場合もあれば、この瞬間にもコンテンツショックに晒されているビジネスもある。
消化する立場にとっては、歓迎すべきトレンドだと言えるだろう。限りある消費者の注目を得るために企業が競うことで、選択肢は増え、より質の高いコンテンツが作られるためだ。コンテンツショックの影響は、消費者の「情報過多」によって生じるのではない。 限りある注目を巡って、大量のコンテンツを通して争うビジネスの結末だ。両者には大きな違いがある。
マーケティングの歴史をひも解くと、どの時代にも、テクノロジーによる革新が生み出した新たな未開の地、そして、誰よりも早く活動を始める先見の明のある人物が必ず登場している。コンテンツショックが避けられない現代において、私達が開拓する必要のある新たな分野のイノベーションとは何だろうか?
私は幾つかアイデアを持っており、今後、このブログで紹介していく予定だ。最後に皆さんの考えを聞かせてもらいたい。私が考えたシナリオは的を射ているだろうか?実際にコンテンツショックは発生しているだろうか?何よりも、どんな対策を取るつもりなのだろうか?
この記事は、{grow}に掲載された「Content Shock: Why content marketing is not a sustainable strategy 」を翻訳した内容です。
あえて論議を呼ぶトーンで書いている面もあると思いますし、実際、元記事はその後、多くの議論を米国で巻き起こしましたしフォローアップ記事も紹介していく予定です。ただ、冷静に読むと当たり前のことを言っているだけの内容にも思えますけどね。コンテンツコストがコンテンツマーケティングのブームによるネット上のコンテンツ量増加とに伴ってコンテンツの制作コストはともかく反響を得るためのマーケティングコストは増大しているのは間違いない事実です。皆が競ってコンテンツを投入し出せばそこでより目立つために、コンテンツの質向上やプロモーション費用によりコストがかかるのは当たり前の話ですよね。ブームが行き着く所まで行けば、その時点で費用対効果や適正投資コストのバランスが落ち着いてくるとは思いますし、コンテンツマーケティングの重要性が変わるわけではないと思いますが、これまでのような、コンテンツマーケティングが救世主的な存在ではなくなるのかもしれません。ある意味、検索広告しかりSEOしかり、ソーシャルメディアマーケティングしかり、新たに登場し、かつ競合が少ない導入期は驚くべき費用対効果を実現できるマーケティング手法と同じ道を辿っているだけとは思いますが。日本ではまだまだ多くの分野でコンテンツマーケティングが相当に効果を引き出せる手法になり得る時期とは思いますが、それも時間の問題であることを認識した上で、長期的な視点に立って、仮に競合が出てきたとしても勝ち残っていけるようなコンテンツマーケティングに取り組んでいきたいですね。 — SEO Japan
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