テクノロジーにより交流が可能となり(または強制され)、過去に例をみない量および勢いで作業および吸収するころが出来るようになり、その結果、1日の生産性が大幅に向上している – それは幻覚ではない。猛スピードで私達は生活を送っている。なぜなら、それが可能であり、そうしなければいけないと感じ、そして、強い風も弱い風もこの方向に流れているからだ。
ソーシャルメディアが登場する以前、私は1日に20本の電話を取り、50~60本のeメールを読んでいたが、このペースに限界を感じていた。現在、電話をその他のつながりのポイントに変えたものの(現在は1日に2-3回しか電話は鳴らない)、何らかのメカニズムを通じて玄関のインターフォンを鳴らす人達は、チャールズ・バークレーの体重並みに激増している。
私達が所有する「受信箱」は非常に多い: Eメール(私は3つのアカウントを持っている)、公開しているツイッター、ツイッターのDM、公開しているフェイスブック、フェイスブックのメッセージ、フェイスブックのチャット、リンクトインのメッセージ、公開しているグーグル+、グーグル+のメッセージ、ブログのコメント、スカイプ、テキストメッセージ(携帯電話)、インスタグラム、電話、留守番電話、そして、複数のトピック別または地域別のフォーラム、グループ、そして、ソーシャルネットワーク。関係を作るために随分多くの餌をばらまいていることになる。
これほど多くの連絡手段を持つことを、私達はどのように正当化しているのだろうか?向こう側が透けて見えるほど注目を薄くスライスする行為が得策だと、どのように自分自身を納得させているのだろうか?
関係が多ければ多いほど、チャンスが増えると信じているからだ。
「知っていることではなく、知っている人が重要なのだ。」
「ソーシャルメディアは、大きな世界を小さくする。」
「リンクトインは知り合い用、フェイスブックは昔の知り合い用、そして、ツイッターは知り合いになりたい人用である。」
このような陳腐な主張は、直感的に理に適っていると思えるため、インフルエンザのように広まっている。しかし、これらの考えには、より多くの人々と交流することは、本質的に人付き合いが少ない状況よりも好ましいと言う前提が共通する。私はずっとこの前提を正しいと信じてきた。実際に、プレゼンでも、そして、このブログでも同じ意見を述べてきた。しかし、現在、この主張を信じることが出来なくなっている。
全てが誤りであったらどうなるのかと私は考えるようになったのだ。
トレイ・ペニントン氏の死(註:米国のソーシャルメディアで有名だった人物)に失望、ショック、驚き、そして、大きな混乱を私は感じた。「なんてことだ、彼のことを知っていると思っていたのに」と私は何度も口ずさんでいた。思えば、同僚の一人が数年前に自殺し、誰も予測していなかった際にも私は同じようなリアクションを取っていた。
現実として、私達は誰一人として本当の意味で知っているわけではない。
私はトレイ・ペニントン氏とオンラインで何度も交流し、現実の世界でも2度会ったことがある。ペニントン氏は、とても親切で、面白く、寛大な人物であった。同氏はソーシャルメディア上で本当に気さくであり、神学とストーリーテリングをバックグラウンドとして持つため、まさか自殺するとは思いもしなかった。ペニントン氏の死は惜しまれるだろう。そして、ソーシャルメディアコミュニティから流れ出る感情をバロメーターとするなら、他の人達に対するペニントン氏の影響は、同氏が考えていたよりも大きかったと言えるのではないだろうか。
私はトレイ・ペニントン氏を友人だと思っていた。恐らく、10万人を超える同氏のツイッターのフォロワーの多くもペニントン氏のことを友人だと考えていたのだろう。どうやら、今年の夏に同氏は自殺未遂をしていたにも関わらず、そして、この問題を親友に打ち明けていたにも関わらず、同氏の自殺を信じることが出来なかった。私達は同氏の友人ではなかったのだろう。
しかし、昨日の朝にトレイ・ペニントン氏が友人かどうかを尋ねられていたなら、私は間違いなく肯定していた。ソーシャルメディアは、実際には存在しない親密さ、そして、近さを私達に植え付けているのだ。
私はツイッターでアンバー・ナスランド氏に出会い、共同で本を綴った。しかし、ナスランド氏の娘には会ったことがない。
ジェイソン・フォールズ氏は、ソーシャルメディアにおいて親しい友人の一人ではあるが、私の家に同氏が来たことはない。
マイク・ステルツナー氏と私は数多くのプロジェクトで協力しているが、一度も仕事以外で食事をしたことがない。
私は彼ら(そして、その他の大勢の人々)を友人だと考えており、ソーシャルメディアによって彼らと知り合えたことに感謝している。しかし、ソーシャルメディアを利用する以前の友人と比較すると(その多くは30年以上の付き合いがある)、彼らのことをほとんど何も知らないと言っても過言ではない。
本当の意味で頼りになる数名の大切な友情を深める時間を犠牲にしてまで、浅いつながりの大きなネットワークを作るために多くの時間を費やす – 私達は本当にこのようなネットワークを求めているのだろうか?
それだけではないことは分かっている。事実、ツイッター、または、ブログのコメントで始まった関係が、大切な現実の関係に発展することもある。マーク W. シェーファー氏はトレイ・ペニントン氏の本当の友人であり、難しい時期にペニントン氏を救おうと努力していた。シェーファー氏とペニントン氏はツイッターで出会い、シェーファー氏は、このつながりのインパクトについて、同氏が綴った素晴らしい本「Tao of Twitter」の中で説明している。 (また、シェーファー氏は、トレイ・ペニントン氏の死に関する素晴らしい記事を作成しており、オリビエ・ブランシャール氏による追悼記事は心を動かされる内容であり、重要度が高い)。
しかし、ソーシャルメディアを通じて誰かに“出会う”このようなケースでも、現実の生活で交流して、本当の友情を築く機会はめったにない。 そして、ソーシャルメディアが拡大し、浸透するにつれ、交流はさらに難しくなりつつある。ソーシャルメディア内の私のネットワークは大きくなり、グループの大半は私のことも、妻のことも、子供のことも、そして、私の関心も知らないため、個人的な話をする機会は減っている。日常生活の無意味な話題でネットワークに参加する人達を退屈させたくないのだ(私は常に個人のアカウントは比較的小さな規模を維持しているため、フェイスブックは例外である)。
これは、ツイッターやフェイスブックで多くのフォロワーを持つ人々の間でグーグル+が人気を集めている理由をある程度説明していると思う。グーグル+は、より注意深くつながりのグループを作り直す機会を与えているのだ。
しかし、これは病気を治すと言うよりも、症状を抑えるだけである。基本的に、テクノロジー、そして、テクノロジーの利用は、“私達が望んできた”ほど距離を縮めてくれるわけではない。事実、より多くの人々を知るようになるものの、関係は浅くなるため、さらに距離は離れてしまう可能性がある。
トレイ・ペニントン氏は、最後のツイートでこの点に少し触れていた:
[オフラインで現実の友達でもあるオンライン上の友達にも勿論感謝しているよ。愛を込めて。]
そして、トレイの友人であるジム・オドネル氏は、ペニンントン氏のフェイスブックのページでこのツイートに対するメッセージを残し、この点を強調していた:
「我が友、トレイ・ペニントンへ 大勢の人達と仲良くなっても、孤独感が消えない これはソーシャルメディアの最悪な点の一つだね」
必死になって多くのつながりを作ることよりも、数名の本当の友達を作ることに専念するべきなのだろうか? その答えを探るため、たとえ大勢の付き合いの浅いグループからのツイートやブログのコメントに答える機会が減ることになっても、私は真の友情を作りたいと思える人を特定し(上の三名を含む)、力を合わせていくつもりだ。
最低でも、ソーシャルメディアが生み出した関係の一部を進化させる必要がある。さもなければ、クリックを増やす以外、そして、ニュースレターの購読者を増やす以外に何の意味があるのか分からなくなる。
誰かのことを知っていると思っても、実は知らないことばかりだ。原因はソーシャルメディアにある。しかし、それよりも大きな原因は私達自身にある。
この記事は、Convince & Convertに掲載された「Social Media, Pretend Friends, and the Lie of False Intimacy」を翻訳した内容です。
気軽に読み始めてしまいましたが、かなり深い話でしたね。私もネット上だけで知っている仲間(と思っている)が数名おり、彼らはリアルの友達と同等位に仲が良いつもりですが、リアルな友達程会うわけじゃないですし、知らないことも多いです。相手が自分のことをどう思っているかも、分からないといえば分かりません。とはいえ、リアルな友達でも同じことな気もしますけどね。ってリアルな友達という表現自体がちょっとおかしいですかね。ネット上の友達も自分にとってはリアルですし。オフラインの友達、と言うべきでしょうか。確かにインターネットやソーシャルメディアの普及で人と知り合う機会は増えたと思いますが、考え方にもよりますが知り合いと友達は違いますし。人づきあいが増えた分、SNS疲れじゃないですけど面倒なことが多い面もあるでしょうし、知り合いが増えたから友達が増えるとも限りません。その分、友達に出会えるきっかけは増えると思いますが。考え込んでしまうと筆者のように深い闇にはまってしまいそうで怖いお話でしたが、さて皆さんはどう考えた文章だったでしょう。 — SEO Japan
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