大学の授業に初めて足を踏み入れた時、私は17歳で少しうぶだった。教授は高額なコーヒーとベーグルを教室の前のテーブルの上に置いたままで、私たちが教室に入る前に彼がいたというサインは、朝食の下手な言い訳とぼやけた黒板に書かれた大きくくすんだ“SEX SELLS”の文字以外にはなかった。その当時、私はそれについてあまり考えていなかったが、これは以後四年間の私のマーケティング専攻カリキュラムの中で私が学んだ最も重要な教訓だったかもしれない。
個人ページであるにしろ企業ページであるにしろ、ソーシャルネットワークに向けて自分の一番良い面を打ち出したいと思うのは当然だ。人々はあなたのパーソナリティをあなたが投稿するテキストと写真をもとに判断するため、自分自身を自分の市場にとって魅力的に見せることは、やり遂げるべき大きな重荷だ。
それは表面的だが、容認できる。
ソーシャルメディアは、本質的に、私たちがデジタルで自分の秘密を表に出したり、Facebook友達の髪を夜中に編んだり、愛の言葉をツイートするというアイディアで作られたのではなかった。その点を考慮して、実際の世界は、人生は外見の良い人にとってはより簡単で、ビジネスの成功は大きなブランドイメージに起因することが多いということを長年示してきた。
では、ユーザーとしての人気においてプロフィールの外観はどれくらい重要なのだろうか?ビジネスとしてのあなたの成功は、“Sex Sells”のアイディアに依存するのだろうか?
AllFacebook.com上の最近の投稿で、身体的に魅力的になる願望があまりに大きくて、個人プロフィール写真での見え方を向上するために美容整形に行った人がいた記事が話題になっていた。個人的には私は彼女らの根拠を理解できないし、私はなぜか自分は写真写りが良いと思いたいが、この話題は、同時に、私を古い広告が今も有効だと信じるに至らせる。画像がソーシャルネットワーク上で全てなら、どこまで自分自身を他のユーザーにとって魅力的にしようとすべきなのだろうか?
FacebookとTwitterは、ユーザーにより多くのビジュアル体験を与えるFacebookのタイムライン機能やカバー写真と同様にInstagramのような画像ベースの機能を統合し、画像/外見の良い画像がコンテンツの王様であると結束している。FacebookとTwitterは別にして、Pinterestの成功についても忘れないことだ―あとどれくらいの証拠が必要だろう?もしあなたが、サンセットや子猫の写真がおかしな風呂場での写真よりも多く存在すると思うなら、落ち着く必要がある。
私は、人を引き付けるコンテンツや素晴らしいコンテンツから良い結果を得られないとは言っていない。ビジネスとして、あなたがソーシャルでそれを批判するなら、鏡の中をじっくりと見て、自分のブランドが魅力的かどうか確かめようと、言っているのだ。もしあなたのブランドが、プロムクイーンというよりはオタクっぽい退屈な卒業生総代のように見えるのなら、すぐにでも大変身する時である。
私たちはデジタルの世界に生きていて、私は@soshalmediagirlなのだから。
この記事は、Social Media Todayに掲載された「Confessions of a Social Media Girl: Is Image Everything on Social Networks?」を翻訳した内容です。
ソーシャルメディアに限らず、見た目の影響力は良くも悪くも現実の世界でも大きいですよね。ただこの記事を読んで思ったのですが、確かに最近のインターネットは画像が以前より注目されていると思いますし、ユーザーも情報を画像で判断する傾向があるように思えます。InstagramやPinterestの人気もそうですし、アプリも文字は少なめで写真や画像を大きく使ったものが増えています。米国の大手ニュースサイトもニュース検索やアグリゲーションサイトでアピール力ある画像が含まれていた方がクリック率が「はるかに」高いことに気づき、例えば取材写真がない記事でも内容を彷彿させる関連画像を掲載したり、クリック率の高そうな画像を意図的に使っていると聞きます。
こう考えていくと、かつての文字中心のネット文化からは完全に違った世界になってきていることは間違いない気がします。その意味では、自分のプロフィール写真はこれまで以上に自分を表現し、他者にも意識される存在なのでしょうし、その内容に気を遣うことはある種自然の流れともいえるのでしょうか。思わず昔を「あの頃は良かった。。。」回顧したくなる見た目に自信がない私ですが、時代には逆らえないので諸々のプロフィール写真をとりあえず見直してみたいと思います。 — SEO Japan [G+]
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