いろいろな意味で、私はこの記事を自分自身に向けて書いている。先日私は、自分の精神科医ととても興味深い会話を交わした。そこで彼は、私のあまり魅力的でない行動について呼びあげていたのだ。彼は私にこう言った。“たぶん君は、自分は忙しすぎるし、そういうことをするには他のどこかが必要だと思っているために、そういうことをしないのだろう。”(この場合、“そういうこと”とは、期日内に支払いをすることのような私が決して習得できないように思われるタスク全てを指していた。)
興味深いのは、その会話が一緒にいた数人の他の人の間で共感を呼んだことだ。ジャクリーンは、私がなぜそんなにたくさんのコンテンツを作るのかというようなことを尋ねてきた。ジュリアン・スミスは、なぜ私が今も毎日ブログを書くのか、週1もしくはそれよりも頻度を少なくしてももはや価値はあるのではないか、と聞いてきた。
もう一度言うが、この記事は私が自分に向けて書いているのかもしれない。あなたがどう感じるかみてみよう。私は、“忙しい”を“目立つために必要なもの”と同一視しているのだと思う。私は、たくさんのアイディアがあって、それらを共有したいからこんなにもたくさんの物を作る。私は、フィードバックが好きだから、それらを共有したいのだ。そして、根底の部分で、私はただ“見られ”たいだけなのだ。
ほとんどの人間がこれを求める。ズールー人は、挨拶として“Sawubona”と言う。これは、“私はあなたを見る”という意味だ。あなたがそこにいることに私は気付いていますよ、ということだ。私達の多くにとって、見られること、聞かれることは、強い願望なのだ。
しかし、それが別の種類の中毒になることもある。フィードバック中毒は、他のたくさんの価値ある探究を妨げる。あなたは、自分のFacebookの近況に誰かがコメントしたかどうかや、自分の気の利いたツイートを誰かがリツイートしたかを、どれくらい頻繁に見に行くだろうか?あなたは、コメントに返答する必要があるかどうかを確認するために自分のブログを何回チェックするだろうか?この行動がどんな役目を果たすのか正直に自分自身に尋ねるのだ。
もしあなたが忙しいなら、あなたは重要であるに違いない。もしあなたが忙しいなら、人々はあなたを必要としている。人間の最大の要求は、求められていると感じることだ。もしあなたが忙しいなら、あなたは自分がそうかもしれないと心配するような敗者ではないということだ。もしあなたが忙しいなら、恐らくあなたは、人々が高速化のために何を支払うかの暗号を解くだろう。
しかし、忙しいのは“目的にかなうこと”や“道を歩くこと”と同じではない。フィードバックを過剰に求めることは、あなたが自分自身の考えに自信がないか、自分が生み出しているものが自分の頭の中にある価値あるものかどうかという問いに自信がないことを意味する。
忙しいことは、私達をつらい目に遭わせ、私達を傷つける体験や私達に苦難をもたらす感情に焦点を当てさせない。忙しいことは、動きの速い馬と同じだ。私達は、個々の花を見ることができない。(これは中国のことわざをもじっている。)
忙しくなくするための私の最初のステップは、とてもシンプルで戦術的なものだった。私は、最小限のお知らせをするように携帯電話を設定した。誰かが私にテキストメッセージを送ってきた時にはさえずりが聞こえるようにした。それ以外には、Eメールが届いた時、誰かがソーシャルネットワーク上でコメントをした時にはお知らせを受けないようにしている。それでどうなったかって?私は今も敏感だし、役に立っている。
私は同じことをコンピュータにもした。できる限り多くのアプリケーションへのお知らせを遮断した。そして、もう1つ行ったことがある。Eメールのソフトウェアを閉じたのだ。ソーシャルネットワークのウィンドウも閉じた。私は、目の前にある自分のプロジェクトに取り組むために必要な1つか2つのウィンドウを除いて、全てのウィンドウとアプリケーションを閉じた。それから、自分がどこに時間を費やすべきかを知るために、目の前にある自分のプロジェクトを一番前の真ん中に置き続けることを始めた。
一般生活でも忙しさが軽減した。私は全てのイベントには行かない。自分の業界の最大のイベントは意図的にスキップしている。なぜならそれらは忙しすぎてビジネスがおろそかになるからだ。友人に会うのは素晴らしいことだ。でもそれは別の機会にすることができる。もし私が業界のイベントにいたなら、それはそこに自分の仕事があるからだ。
これは私にとって最も難しい部分である。もし私が毎日ブログを書かなかったら、もし私が1日に何回かツイートしなかったら、もし私が1日に何回かGoogle+に興味深いことを投稿しなかったら、人々は私のことを忘れて他の情報ソースに移ってしまうという妄想を持ち続けている。ある意味では、それが真実であると私は知っている。私達は、消費社会なのだ。次から次へと貪欲にクリックして行く。
しかし、それが私のリードジェネレーションモデルなのだろうか?私のブログを手軽に消費してツイートし、頻繁に投稿する人達が私のクライアントなのだろうか?いや、違う。彼らは、同じような仕事に就いている同業者であることが多い。彼らは、自分達は私のブログを読んでいる唯一の非マーケッターであると思っている多様な人達からの選りすぐりの最愛の寄せ集めなのだ。彼らは、私が自分の人生で進んでいる方向を未だに信じることが出来ない過去の人達なのだ。そういう人達が私のブログを読んでいる。
私から何かを購入する人達は、私が誰であるかに気付いていないことが多い。彼らはちょっと立ち寄って、私がしていることに私は得意に違いないという豊富な証拠を見て、何かしらのプロジェクトに私を雇うのだ。そういうオーディエンスが毎日のやり取りを要求するのか?しない。実際には、彼らはそういうのをひどく嫌うと思うのだ。彼らは、事業価値を加えることに彼らが成功する手助けを私ができるということを知りたいのだ。それは、ブログ投稿やツイートの数では測定されない。
どうやら、もう少し表に出なくても大丈夫なのだ。私はこれを訓練するつもりでいる。怖いけれど、できる。
私に対してその答えを出さなければならないなんて感じる必要はない。ただし、自分自身にその質問をするのだ。あなたは本当に圧倒的に忙しいのだろうか?いくつかの締め切り、そしてもしかすると自ら自分に課した先延ばしを越えて、あなたはどれくらい忙しいのだろうか?そして、現在のあなたのライフスタイルと次の年のあなたのビジネスを改善するために、その“忙しく”することとは何なのか?
もしその時間を取り戻せるとしたら?あなたはそれをどう使うだろうか?1日の追加の4時間をあなたはどう過ごすだろうか?4時間だ。それについて考えてみるのだ。それは、忙しさにかかる経費かもしれない。あなたは自分の経費をどこに費やすだろうか?
この記事は、Chris Broganに掲載された「YOU’RE NOT AS BUSY AS YOU THINK」を翻訳した内容です。
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