私達は、この日が来るのを恐れていた。しかし、先日、Appleの共同創業者スティーブ・ジョブズがAppleのCEOを正式に退任し、最高執行責任者であるティム・クックがこの地位を引き継いでこの世界最大のテクノロジー会社を率いることになったことを発表した。(どのように明らかになったかはここをクリック)
ティム・クックは、Appleの25年間の中で6番目のCEOとなる。スティーブ・ジョブズは、そのうちの15年近くの間この地位を守って来たかもしれないが、カリフォルニアのクパチーノを拠点とするこの会社は、PepsiCoやIntelの幹部が実権を握るのも見てきたのだ。そんな彼らをここで振り返ってみよう。
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スティーブ・ジョブズもスティーブ・ウォズニアックもCEOという役割には経験がなさすぎるように思えたため、Appleの3番目の社員マイク・マークラ(彼については後でまた触れる)に最初のCEOになるように説得されて、マイケル・スコットはNational SemiconductorからAppleにやって来た。
伝えられるところによれば、スコットは、Appleでタイプライター禁止を奨励していて、40人のApple従業員を解雇し、以下のようなことを言ったとされる(Apple IIチームの半分を解雇した直後に):
“私は、AppleのCEOであることが面白くなくなれば辞めるとこれまで言っていたが、気持ちが変わった。面白くなくなった時には、もう一度面白くなるまで私は人を解雇することにしよう。”
マイク・マークラは、250,000ドルを提供して(会社の株式投資に80,000ドル、貸付に170,000ドル)Appleの投資家となった。さらに、1997年にはAppleの3番目の社員になっている。
CEOとして彼は、会社に融資とベンチャー・キャピタルを提供して、最初の2つのAppleコンピューターを市場に出す支援をした。最初彼は4年間Appleにいるつもりだと言っていたが、実際にはそれよりも長く、1985年から、ジョブズが会社に戻って来て新しい理事会が作られる1997年までチェアマンとして働いた。
Appleの共同創業者スティーブ・ウォズニアックは、自分が単独で最初の2つのコンピューターを構築したという事実にもかかわらず、Appleの成功は自分以上にマークラのおかげだと考えていると伝えられている。
1985年、マークラはスティーブ・ジョブズを会社から除名するためにAppleの別の役員側についた。
PepsiCoの前CEO、ジョン・スカリーは、彼のマーケティングスキルを使ってAppleのコンピューターを販売するのを支援するためにAppleに連れてこられた。
スカリーは、1985年にはチームの統制を失い始めたスティーブ・ジョブズとの意見の不一致で知られており、他の経営トップと共にジョブズから全ての運営責務を剥奪するという結果を導いた。
しかしながら、CEOとしての彼の戦略は、高いエンジニアリング、製造、マーケティングのコストをAppleに負わせ、その製品は市場の混乱を引き起こすこととなった。彼は会社にPowerPCチップを利用させたが、後に、あの時はもっと人気のあるIntelプロセッサを選ぶべきだったことを認めている。
スカリーにとっては残念なことに、Conde Nast Portfolioが史上14番目に最悪のアメリカ人CEOとしてスカリーを挙げている。
“ディーゼル”というあだ名を持つマイケル・スピンドラーは、Appleヨーロッパの社長に就任し、Appleのヨーロッパでの功績を上げると、1993年にはジョン・スカリーに変わってCEOに就任した。
スピンドラーは、NewtonとCoplandオペレーションシステムの失敗が引き合いに出されるが、1996年のCEO交代の前に、IBM、Sun、Philipsとの買収交渉を導いたとも伝えられている。
ギル・アメリオは、1996年にAppleに加わる以前はNational SemiconductorのCEOだった。その時すでに彼はAppleの取締役でもあった。
アメリオは、スティーブ・ジョブズのNeXTを4億2900万ドルで購入して、会社の質の低い製品を覆すのを支援し、Mac OS 8を導入した。1年以内に、Appleの株は12年で最安値に下落し、スティーブ・ジョブズがこのCEOをクビにするように重役を説得した後、アメリオはその地位を失った。
1997年、Appleの臨時CEOに指名されたジョブズの主たる目標は、この会社に再び利益をもたらすことだった。彼は、多数のプロジェクトを削減し、スタッフは解雇されるという恐れからジョブズと離れた場所にいることを恐れた。
新しいCEOは、Mac OS Xを作ることを支援し、2000年に正式にCEOに就任する前に、iMacやその他新しい製品を発表している。
ジョブズはiPodとiTunesの音楽サービスのリリースとiPhoneの背後にいた。携帯電話の導入に満足せず、彼はiPadタブレットの製作を支援し、Macブランドのコンピューターをより光沢感のある魅力的で小さいものにし始めた。
2011年8月24日、ジョブズは、自分に期待された役割を果たすことができないと考えたと述べて自身の退任を発表した。
今日付けでスティーブ・ジョブズの後を引き継いだティム・クックは、前任者の活気に満ちたスタイルとは全く異なり、温厚で冷静で静かな男で知られている。しかしながら、彼の仕事のスタイルは、しばしば“ワーカホリック”と言われるほどにかなり徹底的である。
クックは、スティーブ・ジョブズが健康上理由で離れた際にも代わりを務めたことがあり、AppleのCEOとして働くのはこれが初めてではない。
この記事は、The Next Webに掲載された「A look at Apple’s CEOs from 1977 to 2011」を翻訳した内容です。
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