古くはFlashやAjax、そして今日のアプリにHTML5全盛時代、、、ページビューでウェブサイトの価値を考える時代はとうに過ぎ去ったはずなのに、ネット広告の世界では何故か未だ幅を利かしているページビュー換算の広告指標。日本に限らず最先端のアドテクノロジーが次から次に生まれているアメリカでも意外と状況は似ているようです。とはいえ、そろそろそんな時代も終わりに来ているかも、、、ということで、今回はページビューの今後を考えてみた記事をカリスママーケッター、ミッチ・ジョエルのブログから。 — SEO Japan
ページビューを広告効果想定の指標としていた日々はゆっくりと(もしくは迅速に)終わりに近づいているのだろうか?
バナー広告(今は“ディスプレイ広告”と呼んでいる)がインターネットに初めて登場した時、私は、“これが私たちにできる最良のことなのだろうか?”とひそかに考えたことを覚えている。私はバナー広告を販売し、多くの巨大で強力な企業がそれを購入する中、なぜ誰も行動を起こさないのか理解できなかった。ほとんどの場合、バナー広告はリーディング体験の邪魔になっているように感じたし(あの点滅する物体である)、それはとても軽くなければならなかったために、クリエイティビティやイノベーションやテクノロジーの観点からするとそのような小さな四角の中でそれほど多くのことは起こっていなかった。広告プラットフォームが成熟するにつれて、1つのウェブページ上にできる限り多く詰め込むこと、もしくは、さまざまな異なるサイズを用意して、ページのそこら中にバナー広告を散りばめることが重要なことになったように思われる。ドットコム崩壊の後、私たちが再起動するチャンスがあるかのように感じるひと時があったが、それは実際には起きなかった。今私たちには、魅力的なコンテンツで消費者を誘い込んで、できる限り多くのページビューを生み出すために(つまりより多くの広告インプレッションを意味する)複数のページに1つのストーリーを展開するオンラインパブリッシャーがいる。個人的に私は、“1つのページとして読む”機能を持っていないパブリッシャーからのコンテンツをオンラインで読まないようにしている。
ページビューモデルには本質的に良くない点がある。
そう考えるのは私だけではない。昨日、Ad AgeがBreaking Free From the Page-View, Display-Ad Prison(ページビュー、ディスプレイ広告の監獄から抜け出す)というタイトルの論説記事を発行した。その中で、appssavvyのEric Farkasがこう言っている:“いくつかの最も人気のあるサイトやアプリ(Facebook、Twitter、Spotify、Pandora、Instagram)を見てみると、ページビューから広告収入を得ているものは1つもない。もちろん、多くは、まだどうやって広告からサイトをマネタイズするのか把握していない。そうは言っても、いずれも300×250のディスプレイ広告やその他の一般的な広告ユニットになることはないと確信している。これらのサイトはユーザー体験を一番に考え、人々のアクティビティの範囲内でブランドメッセージを結び付けることによって自分たちのサイトやアプリをマネタイズする方法を探しているのだ。Facebookは、ソーシャルグラフを広告の方程式に持ち込み、ブランドコンテンツを主な広告源の1つへと変えている。Twitterは、ツイートのストリーム内に宣伝メッセージを置いている。これらの企業のそれぞれの技が、ユーザー体験の邪魔をせずに、プレミアム広告を提供しているのだ。”
古い思考を新しいメディアに?
ページビューは従来メディアの思考形態だ。1ページに、1つ(またはそれ以上)の広告。私たちは、ウェブページを見て、“これは、雑誌や新聞のページと違いがない”と考えたきた。パブリッシャーがアナログで得てきた売上をデジタルでの収益に交換することについて話す時、それは従来の思考をそのまま新しいメディアに適用していることの証明でもあり確証でもある…そしてそれが問題の中心なのだ。Googleを好きにしろ嫌いにしろ(私はたまたま“好き”の立場にいる)、彼らはGoogle AdWordsでダヴィンチコードを解読したのだ―どのように売られてどのように表示されるのかまで全て。広告は、ページの一部となり、メディアの心臓部である広告はコンテンツ形式になった。アフィリエイトマーケティングや、ターゲットとするEメールデータベースを築くためのコンテンツの活用、その他のマーケティングの形態は、本質的に、フォーマルな収益モデルとしてページビューを押し上げるシンプルなディスプレイ広告よりも戦略的で強力のように思われる。
ここでもう1つ重要なのはユーザー体験である。
ユーザーは、ウェブページやモバイルアプリを新聞や雑誌を読むのと同じように体験しているだろうか?いいや。デジタル形式のコンテンツに対するユーザーの関わり方は、印刷とは根本的に異なるのに、この時点でいまだに私たちがページビューを広告指標として考えていることは馬鹿げている。ウェブページやモバイルアプリを座って読んでいる人は少ない。彼らは、食べて、クリックして、移動して、それで遊ぶ。その体験の邪魔をして、新しいロイヤルカスタマーを獲得するわけがない。ブランド、エージェンシー、メディアカンパニーは、その体験に追加して邪魔にならないメディアとしてコンテンツを作成する方法を見つけるために深く探る必要があるのだ。
勇気を持って。
この考えが揺さぶりをかけるのに十分ではないのなら、これについて考えるのだ:私たちが目にしているインターネットコンテンツ―現在の輝かしい形式において―は希少モデルに基づいているだろうか?新聞や雑誌は、とても限られたスペースで広告を販売する(誰もが望む裏表紙を手にするのは1つの広告主だけだ)。オンラインコンテンツは、無制限だ。好きなだけたくさんのコンテンツを追加することができる。テキストを補佐するのは画像でも動画でもいい。文字通り、境界線などないのだ(サーバーの処理能力は例外)。ページビューは、希少モデルによって動かされる広告モデルだが、ウェブとモバイルは豊富で選択肢や動きのあるスペースなのだ。
この問題に対する明確な解決策はない。私からもう1つ質問がある:あなたはどう考えるだろうか?
筆者について:ミッチ・ジョエルは数々の受賞歴を誇るカナダ発のデジタルマーケティング/コミュニケーションエージェンシー、Twist Imageの代表です。2008年にはカナダで最もソーシャルメディア上で影響力のある人物、そして40歳以下で最も有名な40人の一人、さらに世界で最も影響力のあるオンラインマーケッター100人の一人に選ばれました。著書である「Six Pixels of Separation」(Grand Central Publishing – Hachette Book Group)は、ビジネス/マーケティング書として英語圏で大ベストセラーになっています。ミッチのブログはこちらから。
この記事は、Six Pixels of Separationに掲載された「Death To The Page View」を翻訳した内容です。
そういえば私も、妙にページを分断化している記事に出会うと、内容に興味があっても次のページに行く前に読むのを止めてしまうことがありますね。サイトの事情はわかるのですが、なんとなくイラッとするというか、その1クリックに手が出ないというか。。。SEO Japanの場合は、1ページが長すぎて怒られる場合が多いので偉そうなことはいえませんが 汗
途中に出てきた「最近の人気ウェブサービスはページビューベースの広告モデルに頼っていない(導入していない)」という発言は、ハッとするものがありました。そう考えると、従来の広告の仕組みをウェブ化したものがページビューベースの広告モデルであり、それを導入している・それに依存しているサイトには従来のメディアを単純にウェブ化しただけのものが多い気もします。その多くが既に消え去りましたけど。。。
私の会社もウェブメディアを運営しページビューベースの広告も販売しており、売上の多くをそこに依存しているのでページビューベースの広告販売モデルに簡単に死なれても困るのですが、ユーザー体験や価値を考えつつ新しい広告というか収益モデルを模索していく必要もあるとは常日頃思っています。
さて皆さんはどう思われたでしょうか? — SEO Japan [G+]
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