ソーシャルネットワークは対人関係を極限まで追いやる。Julien Smithのブログに残したコメントで、私はインターネットによってどれだけの時間と友情が壊されているかについて語った。私は今回、この考え方を詳しく説明し、数字の話もしようと思う。
かつては、友人に会うこととは実際に友人を見たときだった。そして、たまに手紙を書いたり電話をしたりもした。やりとりの頻度は今日よりもずっと少なかった。ソーシャルツールによって、やりとりの頻度はずっと多くなり、その多くがブロードキャスト形式であるという事実によってさらに増幅されている。そのことを説明しよう。
かつて:私はあなたに家族行事で会って話した。その後に手紙を出したり電話をしたりした。私たちは何ヶ月も会わなかった。
現在:私が何かをFacebookやTwitterに投稿する。あなたがそれを見る。私はあなたに直接何かを言っていないが、あなたは私がまだそこにいるということを記憶にとどめる。あなたは私たちが直接話をしたのはかなり前のことだと自覚する。
この2つの交流の違いは、デジタルな自分自身の無意識に無視していた過去が、最近私たちが直接やりとりをしていなかったということへの自覚の引き起こし方にある。それはリマインダーであり、しばらく1対1の意味のあるやりとりをしていなかったという声明なのだ。
このことについて考えると同時に、私はいくつかの計算をし始めた。私たちの新しいデジタルライフの複雑さを明らかにするものである。
100件のTwitterでの小さな会話と、
120件のEメールと、
10件の電話で、
13時間だ。
これは無理な話だ。それは必要なビジネスではない(接触とネットワーキングがビジネスを支援するとはいえ)。それは単なるコンタクトにすぎない。
そんなことに1日の13時間も。
そして、たったの100人程度の人に。それは、私が現在持っている、146,000のTwitterのフォロワーにも、58,000のRSS購読者にも、11,000のLinkedInコネクションにも満たない。
それは100人程度のことなのだ。
私たちは、もっと“アンビエント・コネクティビティ”に満足し始めなければならないだろう。私たちの多くはすでにこれを理解し受け入れていると思う。いつでも繋がっていたいという接触の願望の頻度は、世の中の平均的な人よりもずっと低くなっていると私は信じている。
しかし、その確信が問題を提起するのではないだろうか?
常に繋がっていることを受け入れ“アンビエント・コネクティビティ”を理解しているが、“現実世界”の友達やその他の繋がりはそうではない世界では、それが全ての種類の人間関係に何をもたらすのだろうか?それはどのように形が変わるのだろうか?
私たちの前にはもっと痛みを伴うクラッシュがあるのだろうか?ソーシャルクラッシュはやってくるのだろうか?
この記事は、Chrisg.comに掲載された「Is a Social Crash Coming?」を翻訳した内容です。
「アンビエント・コネクティビティ」は日本語に訳すと「緩やかなつながり」とでもいえばいいのですかね。日本のSNSは元々匿名性ですし、緩やかにつながる部分が良いとされている面もあると思いますが、今後さらにソーシャル化する米国や世界の中で、日本的な「緩やかなつながり」がどこまで求められ普及していくのか、ということはちょっと気になります。 — SEO Japan
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