あなたがブッダについて考える時、マーケティングのことは考えない。
少なくとも私はそうではないことを願う。
ブッダは、利益には全く興味のない、魂の師だった。実際、彼は自分の弟子が金銭のやりとりをすることさえも禁じた。
しかし、マーケティングはアイディアを広めることだというセス・ゴーディンに賛同するなら、ブッダは史上最高のマーケッターの1人だと言える。
2,500年にわたって、彼の教えは大勢の人の生活に影響を与えてきた。初めはアジアに広まり、次第に地球の最果てまで伝わった。数百年もの間、書物による記録がないまま、彼の考え方は口伝えで生き残ったのだ。そして、2,000年以上の間、マスコミの力も使わずにそれは大陸を渡ったのだ。
ブッダの例は、あなたが‘援助団体’で非営利に働いていたり、自分のメッセージで世界を変えたいと思っている場合には、特に関連がある。
しかし、たとえあなたが利益のためにビジネスをしている場合でも、21世紀で成功するためには寛大さと目的が必要不可欠であることには気がついているかもしれない。
それは、物事を行うにあたって立派な方法でもある。 ブッダのアプローチからこんなにも多くを学ぶことができるということにあなたは驚くだろう。
目次
ガウタマ・シッダールタ(後のブッダ)は、王の息子として裕福な特権階級に生まれた。彼の父親は、立派な宮殿内で彼を育て、息子を現実生活から守るためなら何でもした。
若き王子が成人し、宮殿の壁の外に出た時、彼は3つの苦しみを目にして自分の無頓着さに衝撃を受けた。1つ目は、年老いた老人、次に酷い病気に苦しむ男、そして火葬に向かう死体だ。最後に彼は、これまでとは異なる生き方の象徴、放浪中の苦行者に会った。
自分の喜びや情熱が全て、老いと病と死によって奪われることに気が付くと、シッダールタはそれらを全て捨て、自分の家族と特権階級も捨て、苦しみと死を超越する方法を見つける旅に出発したのだ。
彼はインド中を旅して、様々な師から学び、様々な哲理やアプローチを試した。彼は、瞑想し、絶食し、ヨガを実践し、ありとあらゆる精神状態を経験した。
しかし、人生の全ての喜びと同じように、それらのこの上なく幸せな状態も遅かれ早かれ終わりが来るのだということを彼は発見した。
彼は、自分の体に食事、睡眠、そしてあらゆる肉体的欲求を禁止する苦行を試みた。体が生きた骸骨になるまで衰弱したが、それでも彼が真実に近づくことはなかった。そのため、彼は極端な苦行生活を諦め、再びちゃんと食事をとり始めると、彼の体は健康へ戻ったのだった。
師に教えられた生き方に疲れ切ったシッダールタは、森の中の静かな場所へと引きこもり、木の下で足を組んで座り、真実を見つけるまでそこに居続けることを決意した。そして、49日間の孤独な瞑想期間の後、彼はついに探し求めていたものを見つけたのだ。
ニルヴァーナ(涅槃)という言葉は、字義では‘吹き消すこと’、つまり、人間の苦しみの根源である貪欲、憎悪、無知の火を断絶することを意味する。それらがなくなれば、苦しみはなくなり、死への恐れもなくなる。
涅槃を経験した後、シッダールタは、“目覚めた人”という意味を持つブッダとして知られるようになった。
今から、ブッダが悟りを開いた後の教えについてあなたに話すつもりはない。(もし興味があるなら、Steve Hagenが書いた素晴らしい本Buddhism Plain and Simpleをお勧めする。)その代わりに、彼が自分の教えを伝え、彼の死後数千年間で無数の人にその教えを広めた方法をいくつか紹介するつもりだ。
もしあなたが自分のメッセージを倫理にかなった効果的な方法で広めたいのなら、それをマーケティングと呼ぼうと、教えと呼ぼうと、シンプルなコミュニケーションと呼ぼうと、ブッダの歩みに従うことを提案したい。
ブッダが悟りを開いた後、最初に彼の身に起こったことの1つが、マーケティングの問題だった。
木の下に座って、涅槃の経験を反映し、彼は自分自身に言った。
これは教えられることではない。
涅槃の計り知れない経験を知り、人間の無知と混乱の度合いを目にしたブッダは、人々を教育しようとしても無駄であるという結論を下したのだ。
だからもしあなたが、マーケッターとして成功していないことに落胆しているのなら、元気を出すのだ!あなたが、優れた知識と素晴らしい技術、そして世界に与えるべきものをたくさん持っていたとしても、マーケティングは全く別の問題なのだ。それは難しいことではないが、あなたがすでに持っている経験とは違った種類の経験なのだ。
ブッダのように悟りに達した師にもマーケティングの問題があるというのなら、私達にも希望があるというものだ!
ブッダが自分の発見を説明しようとしてもしょうがないのだという結論を出した時、彼の所に神ブラフマンが現れ、真実を見ることができる“目の中にほんの少しだけ埃が入った”人々もいると言って、ブッダを後押しした。
そこでブッダは、積極的に悟りを求め自分のメッセージを受け入れることができる熱心な人間を探しに出た。
従来のマーケティングの過ちは、自分の製品やサービスやメッセージから恩恵を受けることができる全ての人を招き、その価値を信じ込ませようとしたことだ。
そこにある問題は、いくらあなたが提供しているものを人々が必要としているとしても、彼らがそれを欲しいと思うまではあなたの申し出が受け入れられることはないということだ。さもなければ、生産性の達人やヘルスおよびフィットネスのコーチ、ファイナンシャル・アドバイザーのおかげで、みんながとても計画的で健康で財政的に安定していることになる。
ブッダの例に従い、私達が提供しているものを積極的に求めている人に焦点を合わせる(単にそれを必要としている人ではない)と、見込み客はずっと少なくなるが、前向きな返答が返って来るチャンスは大きくなる。
ブッダの最初の教えの試みは、一般的には失敗と思われている。
ブッダが森から街へと戻る途中、ブッダに普通とは違うものを見た放浪する苦行者に会った。その苦行者は、ブッダに何を発見したのかと尋ねた。ブッダはこう答えた:
私は完全に悟りを開いたブッダである!
別の男が頭をかいた。彼は弁解をしながら、“もちろんそうでしょうね”と思った。
面白いことに、ブッダはありのままの真実を伝えていた。彼はうぬぼれが強かったわけではなかった。(当然、ブッダはエゴを超越していた。)そして、彼は自分の教えを無料で与えていた。
しかし、そのことが彼の信奉者に影響を及ぼすことはなかった。
理想の世界では、あなたは売り込む必要はないのだ。ただ真実を告げ、自分の製品を人々に見せれば、人々はすぐにその価値を認めてあなたの申し出を受け入れる。しかし、ブッダにでさえ、ここは理想の世界ではないのだ。
たとえあなたが無料のオファーをしているとしても―例えば、ブログやニュースレターの購読やソフトウェアの無料トライアルや無料コンサルタントなど―、あなたはそれを売り込む必要があるのだ。
人々は、忙しいか、圧倒されているか、単に混乱しているのだ。あなたがその精神的な騒々しさを切り開いて自分のオファーの価値を彼らに信じ込ませるかどうかはあなた次第なのだ。
ブッダは再び挑戦した。
バラナシの鹿野苑でかつて共に修行した5人の修行者に会うと、彼らはブッダに何を学んだのかと聞き、ブッダは彼らに四諦の法門―苦しみの根源とそれを超越する方法を説明した基本原則―について教えた。
これは成功だった。この話しが5人を悟りに導き、最初の仏教僧侶となった。この日から、四諦の訪問が仏教の教えの基盤となっている。
教えを4つの基本ステップに分けることによって、ブッダは聞き手が理解し、記憶し、他に人に共有することが簡単になるようにしたのだ。
ここで、特に大切なのが、読み書きの文化が発達する以前にブッダが教えていたと言う事である。彼の教えが文字に書かれる以前にいくつかの国に広まっていたのだ。つまり、それまでは口コミで広まったということなのだ。
ブッダの教えには、八正道、三宝、五蘊など、複雑な概念を数字によって分解した例がほかにもいくつか含まれている。まるで、ブッダもCopybloggerの見出しの書き方に関するアドバイスを読んでいたかのようだ。
つまり、もしあなたが数字の入った見出しを見て、自分の読者には陳腐だとか単純すぎると思ったことがあるなら、ブッダの教えがとても巧妙で難解であることを考えるのだ。
もし彼のプライドが高すぎて数字リストを使わなかったとしたら・・・
あなたが複雑なサービスや高機能製品を提供しているのなら、見込み客に話しをする時にはそれを簡単な要素に分割することによって良い結果が得られるだろう。彼らに3つの主要な恩恵を与えるか、あなたのトレーニングプログラムの3つのステージを話すのだ。
詳しいことは後から説明することができる。この方法では、あなたのオファーをパッケージングすることで人々に理解してもらいやすくするのだ。
ブッダは、自分の悟りへの道を中道として説明した。
これは、彼が自分自身で試みた2つの有名な選択肢とは区別されている。
豊富な財産、召使、美しい妻を持つ裕福な若い王子として、彼には肉体的喜びにふける機会がたくさんあったが、彼は、外側の喜びや愛し合う関係の中でさえも人間の苦しみを和らげるものを見つけることができないことに気がついたのだ。
その後、崇高な苦行者として、彼は、断食と瞑想、そしてありとあらゆる快楽を禁じることによって、自分の体をひどく苦しめた。
しかし、それもうまくはいかなかった。
最後に彼は、欲しいままにさせることと自ら進んで苦行することの両極端を避けたバランスの取れたアプローチを身に付けた。彼は、喜びと痛みを同じコインの2つの面として捉え、それらを涅槃の経験を通して超越することを学んだのだ。
彼が教えに出た時、使徒を惹きつけることを切望するあらゆる教祖やヨーガ行者やスワーミーやその他の師と共に混雑した市場に入っていくことになることを知っていた。彼は、自分のアプローチを中道と呼ぶことで、競争相手の価値観とすぐに差別化することを可能にしたのだ。
ブッダのように、あなたは自分のメッセージを位置付けて、群衆の中から目立たせる必要があるのだ。
ブッダがビジネスモデルを持っていると考えるのは変に感じるかもしれない。彼とその弟子達はお金と財産を放棄したのだから・・・。
しかし、他のみんなと同じように、彼らにも食べ物と、衣服や薬や住む場所といった基本的な必需品が必要だった。つまりそれは彼らがビジネスモデルを必要としていたことを意味する。すなわち、これらのものを提供できる人々との取引を調整するためのシステムだ。
しかしながら、私達の大部分とは違って、彼らは交易には頼らなかった。
その代わり、彼らは、お金と欲望ではなく寄付と寛大さによって動かされるギフト・エコノミーによって支援されていた。毎朝僧侶たちは托鉢に出掛け、村の人によって彼らの食べ物を入れる器はいっぱいになった。彼らの衣服やその他の設備はすべて寄付によるものだった。それと引き換えに、僧侶達は教えを施し、人々のために儀式を執り行った。
このシステムは、アジアの中だけでなく、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアやその他の資本主義経済の中でも、仏教徒の僧侶と尼僧の間で今でも続いている。
もしあなたが、これがどう自分に関係するのか不思議に思っているのなら、LinchpinでのSeth Godinの提言を考えてみよう:
今日私達が生きているハイブリッド経済は資本主義(『自分の仕事をしなさい。さもなければ解雇しますよ』)とギフト・エコノミー(『おお、これは素晴らしい』)の考え方が混ざっている。
もしこのハイブリッド経済の中で成功したいのなら、あなたにはお金を稼ぐことをはるかに超える目的が必要になる。さらには、見返りを期待して`無料ギフト‘をただ配るのではなく、あなたは心から寛大になる必要がある:
感情労働のギフトを含むどんなギフトであっても、その本質は、具体的に保証された報酬のためにすることではない。もしそうなら、それはもはやギフトではない、仕事だ。
(Linchpin)
ブッダを思う時、私達は、独りで足を組んで座って瞑想している姿を思う。そして、彼がたった一人で涅槃に達したというのは事実だ。
しかし、彼は、私達の大部分がその途中でもう少し助けが必要であるということに気が付いていた。
だから彼は、僧侶、尼僧、在俗信徒から成る真の探究者のコミュニティ、『僧』を設けた。僧のメンバーは、お互いに支援し合い励まし合った。今日まで続くこのコミュニティには、様々な仏教の宗派で世界中に無数のメンバーが属している。
ある日、ブッダの一番弟子のアナンダが、自分がどれだけ僧を重んじているかに気付き、ブッダにこう言った:
お師匠様、私は、信仰生活の半分は、美しいものに関連した魂の友情関係だと考えます。
そして、ブッダはこう答えた:
そうではないのだよ、アナンダ。それは信仰生活の半分ではない。それは信仰生活の全てなのだよ。
(Ajahn Amaro, Spiritual Friendshipより)
もしあなたが、自分のビジネスや自分の提案、自分の非営利団体を通じて、世界に前向きな変化をもたらしたいのであれば、最終的にはあなたの成功は、あなたが自分の周りの人々にもたらす変化に帰着する。
だからあなたが取るべき最初のステップは、同じような考え方の人々―あなたが支援でき、その代わりにあなたを支援できる人々―の集まりを見つけることだ。
あなたのメッセージを受け入れられる人達を。
あなたの取り組みを価値のあるものにする人達を。
ブッダの例はあなたに響いただろうか?あなたはそこから何を学ぶことができるだろうか?
あなたは、同じようなマーケティングの問題を解決したことはあるだろうか?
作者について: Mark McGuinnessは、アーティストや創造者や起業家の指導者だ。Markのクリエイティブ・キャリア・コース「The Creative Pathfinder」にサインアップして、優れたキャリアを作るための無料の26週間ガイドを手にしよう。
この記事は、CopyBloggerに掲載された「How the Buddha Solved His Marketing Problem」を翻訳した内容です。
ネタ系の記事ではあるのですが、流石に仏陀をテーマにしただけあってか?どれも的を得て深いですね。ギフト・エコノミーなんてまさにソーシャル全盛の今ならですし。もう少し落としこめば「ブッダ・マーケティング」論まで展開できそうな勢いです。実際問題、とりあえずここに書いてあることを教訓に1つ1つ実践していけば普通のビジネスならある程度の成功は確実におさめられる気もします。ビジネスにおいてもやっぱり仏陀は偉大でした! — SEO Japan
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