コミュニケーションは、生物の間で交換される全ての情報に影響を及ぼす。厳密に言えば、植物や菌類でさえ、お互いにコミュニケーションを取っている。
私たち人間を区別するものは、コミュニケーション手段が発展し革新するスピードである。テクノロジーは、より簡単により素早くより頻繁にコミュニケーションを取ることに役立ってきた。私たちは今、“常にオン”で、コミュニケーションを取る能力を一時的に失うと(例えば、データコネクションや携帯電話を失った時)パニックになるという段階にいる。
全てのイノベーションと同様に、私たちがイノベートする方向は、技術的に可能なことと社会的に望んでいることのコンビネーションである。技術的な発展がその可能性を決定付けるが、どのテクノロジーが実際に突破して私たちの生活の一面に残るのかは私たちのニーズが決定付ける。モールス信号、テレックス、ファックス、iモード、WAP、ICOは、全てより良くより使い易いツールによって置き換えられてきた。‘チャットルーレット’を介して見知らぬ人とコミュニケーションを取ることはパッとしなかったが、‘Airtime’に何が起きるかは誰にも分からない。
しかしながら、技術的発展にもかかわらず、私たちはいまだにお互いを理解していないようである。GoogleはスピーチのためにGoogle Translateに取り組んでいるが、もし私たちがメッセージを翻訳することができたなら、それは私たちが相手の言っていることを理解しているということになるのだろうか?
私たちが求めることは、少ない騒音、多くの前後関係、使い易さ、アクセスし易さ、リスナーがメッセージを理解しているという確実性である。私たちは、自分のメッセージが政府や企業やサイバー犯罪に情報を盗み見されることなく、最終的に適切な人物に届くことを望んでいる。さらには行動を起こすように人々を駆り立てたいと思っている。私たちは、他の人に自分がして欲しいことをさせるために常にコミュニケーションを使ってきた。改良されたコミュニケーション技術は、私たちがそれをより早くより大きなスケールですることに役立ち、持つ者と持たない者の格差に大きく影響している。
これは私たちをどこに導くのだろうか?
異なる分野の6人の専門家にコミュニケーションの未来に関する考えを共有してもらった。
目次
今日のテクノロジーが存在する遥か昔は、恐らく、何千マイルも超えて何百ものコミュニティに情報を伝えるアフリカの太鼓が最もパワフルなメッセージング技術だった。ドラムビートはたくさんの微妙なものを持つため、適切なメッセージが交換されることを確実にするためには1つのソリューションが必要とされた。例えば、Keleという言語では、“Alambaka boli”というフレーズは“彼は川岸を見た”という意味だが、“彼は妻の母親を激怒させた”という意味でもあるため、不幸な誤解がないことを確実にするためにそのフレーズの周りにストーリーを追加しなければ問題になる。
それはまさにドラマーがしたことなのだ。彼らは言葉に前後関係を追加した。例えば、“Songe”と言う言葉は“月”を意味するが、実際には“月が地球を見下ろしている”とドラムが叩かれた。歴史を通して、先進国世界として見なされるものは、単純な言葉に前後関係を追加できる効率的なコミュニケーションシステムを作ろうと継続的に努力してきた。電話が発明された時、驚くべき現実は、遠隔で会話をすることができ、好きなだけ長く前後関係を追加することに時間を費やすことができたということだった。しかしながら、物事をより効率的にする私たちの技術的革新は、あまり努力をせずにもっと簡単で素早い方法でコミュニケーションを取る能力を与えた。今私たちは、あまり前後関係を追加せずに社会的に認められた方法でコミュニケーションを取ることができ、極小の広告版に極小のヘッドラインを書いているが、正直に言えば、私たちは混乱と誤解を加速しているのだ。あなたは、自分が誰かに送って理解されなかった最近のテキストを覚えているだろうか?誤解されたメールを覚えているだろうか?または、異なる意味に解釈されたかもしれないことに気が付いたツイートは(でも使えるのは140文字しかない)?
コミュニケーションの未来は、いくつかの道に進む可能性がある。私たちが今いる場所を見ると、自分たちがしたくないタスクをますます実行するための自動化されたテクノロジーを作り続けるように思える。私たちに判断の仕方をアドバイスしたり感じ方をアドバイスするコミュニケーションツールをもっと作ることを目指しているのかもしれない。考えてみると、これが私たちの競争から人間であることの残骸をうまく取り除くのかもしれない。あるいは、私たちは自分たちのモダンな最先端のコミュニケーションツールとプラットフォームが実際には何世紀も前のアフリカの太鼓と比べて未開発であるという事実を検討するために立ち止まるかもしれない。私たちの素晴らしいテクノロジーは、意味を広めるために表現するのではく、表現を目的として表現することを可能にするコンテキスト・バキュームとして見なされるかもしれない。
驚きだ。ほんの数年で、スマートフォンとタブレットのタッチスクリーンは、私たちが人間や機械とやり取りする方法を劇的に変えた。今後数年で、私たちの生活の全ての部分に侵入するタッチスクリーンの急増を目にするだろう。バスルームの鏡からタッチスクリーンテーブル、さらにはリビングルームのタッチウィンドウでやり取りするかもしれない。
しかし、私は、部分的にはタッチスクリーンを中間のインターフェーステクノロジーとして見ている。世界中の科学者が、コンピューティングおよびコミュニケーションのユビキタスを私たちの生活の自然な一部として作るという最終的な目的を持って、より自然なユーザーインターフェースの開発に一生懸命取り組んでいる。
そのようなテクノロジーの初期の兆候がすでにここにあるのだ。AppleのSiriやSamsungのS-voiceのようなインテリジェント・パーソナル・アシスタントは、タイプする代わりに声を使ってテキストを入力したり命令を伝えることを可能にする。KinectやWiiのようなテクノロジーがあれば、ジェスチャーを用いてデバイスをコントロールすることが出来る。私たちの思考を読むブレイン・コンピュータ・インターフェースも作られつつある。Googleのようないくつかの関係者は、私たちが目にする物の上に情報を表示する拡張現実グラスを開発しているし、Microsoftはワシントン大学の科学者と一緒にビルトインARディスプレイを使用したエレクトロニック・コンタクトレンズの開発に取り組んでいる。
もちろん、それはまだ始まりにすぎないが、‘メッセージを見せて’と考えるだけで最新のツイートが自分のコンタクト上に表示され、ジェスチャーをするだけでバーチャルボタンをクリックするなんてことを想像してみるのだ。スマートフォンのタッチスクリーン画面についた汚れた指紋なんて一気に解決する。
特定の脳活動である思考を使って様々なコンピュータ機器を制御するブレイン・マシン・コミュニケーションを、自動車や家の中などで目にすることになると私は確信している。
1つの重要な要素は、ムード・コミュニケーションでもあるだろう:そのような私たちの気分(脳波のパターンに反映される)が環境に影響して、例えば私たちの気分を高揚させたり、気分を様々な方法で形作るなど、環境がフィードバックを与える。家が自分の全体的な気分を理解して、(もしそれが落ちていれば)特定のライトを付けたり、特定の音楽を流したりすることなどによってそれを上げようとするのは想像できるだろう。
夢の改良はもう一つの興味深い分野だ―朝目覚めた時の夢は、私たちがどんな気分で1日を始めるかを大きく左右する。だから、最後の夢の時間が、iPhoneで優しく再生されるFXサウンドスケープを介してポジティブな方向に修正されることができたら、それは私たちの生活、仕事、生産性において大きな意味を持つ可能性があるだろう。
埋め込み型のようなものなのを介して直接的な脳から脳へのコミュニケーションを取るのか、単に付属されたデバイスなのかは分からない。誰がそれを欲しいのかが私には分からないというのがその部分的な理由だ。しかし、技術的に可能なことは確かである。
政治には変わることが決してないように思える部分がある。それは今でも、有権者に伝達することと有権者を駆り集めることである。特にアメリカの選挙運動について話す時、全てを動かすのは金だ。しかし、政治家がお金をどこから集めどこに費やすのかは、急速に変化している。
お金を集めることは、ますます革新的なテクノロジーを使って行われるようになっている。Eメールキャンペーンから携帯メール、FacebookからPinterestまで、現代のキャンペーンは、より多くの有権者と24時間繋がることが出来る賢くスキルのある人間によって経営されるテックスタートアップのようなものだ。もちろん、彼らにいくらかのお金を要求する。とは言うものの、これら全てのデジタルオペレーションには多くの費用がかかるかもしれないが、大部分は今もツイートやアプリではなく、テレビコマーシャルに費やされている。
先を見据えると、これは変化するだろう。テックに精通したキャンペーンスタッフはゲーム開発者やアプリビルダーからヒントを得て、ネットワークでつながったテクノロジーのアフォーダンスを利用している。2つの重なり合うトレンドがこの先数年でより顕著になりそうだ。
最初に、全てのデジタルがあれば、キャンペーンはこれまで以上にデータ駆動型になる。それは、メトリクス、メトリクス、メトリクスが全てだ。精緻で驚くほど詳細なユーザープロフィールをオンラインテクノロジーとダイレクトメールやロボコールやTV広告などの“古い”テックと組み合わせることによって、戦略家は真に有権者をマイクロターゲットすることができる。あなたは以前に寄付をしたことがあるだろうか?そして、あなたは社会問題について気にかけている女性だろうか?それならば、あなたは異なる広告やEメールや折り込み広告を手にし、それから異なる州に住む保守的な男兄弟を手にする。
2つ目に、オーディエンスのモバイル化が進むにつれ、政治運動のモバイル化も進む。ロケーションベースのテクノロジーは、お金とあちこち動き回る日を集めるのと同様にピンポイントのメッセージを届けることをさらに手助けすることができる。しかし、同様に重要なのは、モバイルツールがさらなる草の根組成を可能にし、オフライン同様オンラインで(見込み)有権者と繋がることだ。
最近、あなたは印刷した葉書をどれくらいの頻度で送っているだろうか?たった10年で、電子的なコミュニケーションが、私たちの経済的、社会的、文化的生活が頼りにする重要なユーティリティに発展した。銀行取引から、政治や家族生活まで、全てのことがインターネットを介して行われている、もしくは行われることを望んでいる。ウェブはコミュニケーションを簡単で安価で楽しくし、人々を知識につなげている。確実に、何世紀も人々が話題にしているそういった革新的なパラダイムシフトだ。
主に、私たちは、適切に名付けられたインターネットプロトコルのように、インターネットの根底にあるオープンで分散的な性質のプロトコルへの見事な遷移に感謝する。これらのプロトコルは、ウェブを介したあらゆるコミュニケーションの血管だ。それらは、テクノロジーの民主化を考慮して設計された。しかしながら、IPやその他の技術的なプロトコルの初期の発明者たちは、このテクノロジーがこんなにも早く取り込まれることを想像しなかったために、情報セキュリティを優先させなかった。
どんな日でもそれなりにきちんとしたニュースソースを読むと、その中で情報セキュリティをたたくことに関するものを目にするだろう。私にとって、これはコミュニケーションの未来に対する一番先の課題を示している。コミュニケーションのセキュリティとインテグリティと機密性をやみくもに信じることはできないということに私たちは気が付くのが遅すぎるのだ。つまり、自分のコミュニケーションが、サイバー犯罪や政府や企業による詮索から安全であるかどうかを確信するのは難しいもしくは不可能であるということだ。そしてもちろん、これにはツイートやいいね!やメールも含まれる。危険な状態は辺り一面にあるのだ。
コミュニケーションを守ることは、計り知れない重要性と複雑性の課題を私たちに提示する。もし私たちが電子的なコミュニケーションの膨大な恩恵を楽しむつもりなら、情報セキュリティとプライバシーを守る技術的な評価と法的な安全対策が必要だ。私は、コミュニケーションの未来はコミュニケーションインフラの現在の脆弱性に気付いて調査をし、それを強めるために努力をすることにかかっていると考える。オープンで頑強なインフラが中核にあれば、ウェブは私たちのコミュニケーションだけでなく、開放性と自由と知識へのアクセスを発展させ続けるだろう。
コミュニケーションの未来はすでにここにある。William Gibsonの言葉でいうと、それはただ等しく分布していないだけだ。私たちが持っているものからの急進的な脱却の代わりに、恐らく私たちは漸進的な改善を目にするだろう。
今日の障害は、コミュニケーションの新しい媒体物―私たちの役に立つ動画、画像、音、テキスト―ではないが、これらのコミュニケーションのメカニズムに継続したアクセスを持つことに限りがある。さらには、これらの制限の大部分は、実際は人工的で、保守派の門番、モバイルネットワークオペレーターによって強要されているのだ。
次の革命は常時接続で常時ブロードバンドのコミュニケーションになるだろう。そして、そのためには、私たちはオペレーターとインフラの役割について徹底的に考え直す必要がある。私たちがモバイルブロードバンドの時代に“ウィジェットを全体をデザインすること”について話す時、ウィジェット全体にはネットワークが含まれるべきだ。こんなふうにウィジェット全体を作る最初の会社が、再びコミュニケーションに革命をもたらすだろう。
画像クレジット: Stephen Pierzchala
この記事は、The Next Webに掲載された「What’s the future of communication? Let’s ask the experts」を翻訳した内容です。
人により注目している分野は違いますがどれも興味深い内容でした。30代以上の人であれば自分が子供の時と今日現在のネット中心のコミュニケーションの在り方の余りの違いに戸惑っている人も多いのではと思いますが、今のデジタルネイティブな若い世代も50年立てば世の中全ての世代のコミュニケーションがデジタル革命以降のネット中心のコミュニケーションに慣れ親しんだ人たちによって成り立っているわけです。その時のコミュニケーション、そしてメディアの在り方は今とは相当違うものになっているのでしょうね。楽しみでもあり、不安でもあり、、、ってまずはそこまで生き延びたいものです 汗 — SEO Japan [G+]
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