iPad 2.0のローンチの時、AppleのPR担当者が私を席に案内する際に、写真を取りたいなら後方の席に座る必要があると念を押した。私の体の中にあるジャーナリストとしての骨の全てが写真の取れる場所に行くように叫んだが、私はそうせずに前列の席を選択した。
なぜって?
これが私が見ることができるスティーブ・ジョブズの最後のパフォーマンスの1つであると感じ、すぐ近くで彼を観察したいと思ったからだ。それは、自分が見ているイベントを写真に記録しようとせずに、ただパフォーマンスに浸ることを余儀なくされた数少ないうちの1つだった。ジョブズは期待を裏切らなかった。
それを理解するには、私の人生を振り返らなければならない。12歳の時、私は、クパチーノにあるHydeジュニア・スクールが購入した最初のApple IIを箱から出すのを手伝った。その緑の画面とカセットテープドライブと蓋の開く黄褐色のプラスチックケースを見たのが、その後の34年間盛衰するAppleとの関係の始まりだった。
その年、私は学校が購入したこの新しいデバイスに夢中になり(その数カ月後には、父親がもっと上のレベルのモデルを購入した)、私は勇気を出してAppleの最初のビルに行き(その頃は、それが唯一のビルで、私が今訪問しているスタートアップの多くよりも小さかった)、ガイドツアーをお願いした。私を案内してくれた人が誰だったのかは分からないが、34年経った今でも2つのことを覚えている。ピアノと“loose lips sink ships(情報を漏らせば船は沈む)”の張り紙だ。私は何枚かポスターをもらった。それらはとっくになくなってしまったが、Appleが初めてロゴにカラフルな色を使ったポスターだった。
その経験によって私は、これは違う種類の会社だ、他にガイドツアーをしてもらったことがあるTandemや夏休みのアルバイトで働いたHPとは全く異なるという思いに達した。
Appleはいたるところで私の人生の一部だった。13~14歳の時には、母親がApple IIのマザーボードを詰める手伝いをすることでお小遣いを稼いでいた。ボード1つにつき1ドルをもらっていたが、私の記憶が正しければ、1つを正確にやるのに長い時間がかかった。後にウォズニアックから、Apple IIの売れ行きがとてもよかったためにAppleは生産能力を使い果たし、それを作るのにシリコンバレー中の主婦を集めたHildy Lichtを採用したのだという話を聞いた。
Prospectハイスクールには、真新しいApple IIを基盤とした研究室があった。私はそこでコンピュータクラブに入り、ソフトウェア著作権侵害に当たる行動を実行した。私のような父親が最新のゲームを購入し、クラブのメンバーの1人がハッキングの名人だったためプロテクションコードを壊してコピーを学校のライブラリに入れるのだ。私はゲームで遊ぶのが好きだったが、他の人達はコードを学ぶのが好きだった。
West Valleyコミュニティカレッジでは、ジャーナリズム学のインストラクターが、新聞を発行するために5,000ドルのレーザープリンターと初期のMacintoshを数台購入する予算をどうにか獲得した。1989年にスティーブ・ウォズニアックに会った時、私は彼に有名人のインタビューを依頼し、その後には自分達の研究所にもっといい設備をお願いした。そして、その両方を手にした。そのおかげで今の私のキャリアがある。私は今もウォズニアックの自宅の電話番号を記憶している。もう10年もかけていないのにおかしなことである。
しかし、つまり、Appleという会社が過去34年間私の人生の一部だったということなのだ。
それが、スティーブ・ジョブズと彼のあの日のApple iPad 2の紹介へと私を導く。私は仕事をする達人を見ていたが、彼は期待を裏切らなかった。彼の製品は全て完璧に命中し、彼に可能な方法で販売し、私の人生はこれらのデバイスがその一部にあってこそ良くなるともう一度私に信じさせる。
なぜ彼なのか?あの日私は自分自身に問いかけた。
その答えを知るためには、あなたは過去34年間を遡る必要があるが、私に言わせれば結局のところこうなのだ:製品の美しさを理解するために製品の背部を見ることを私に教えてくれたのが、この業界のたった一人の人物なのだ。
彼が、今私の机の上にある現代の製品ラインを見せびらかせていたのはiMacのローンチだった。“背部のメタルを見て、美しいでしょう?”と彼は言った。確かにそうだ。
しかし、他のCEO達は製品の背部なんて気にしていなかった。彼らは、コストを削減することを気にかけていた。
私がスティーブ・ジョブズの重要ではないことへの関心を目撃したのはこれが最初ではなかった。シリコンバレーにある“Bucks”という名の有名なたまり場/レストランを経営するジェイミス・マックニーヴンをインタビューした時、彼はスティーブ・ジョブズの話を持ち出した。彼はスティーブ・ジョブズの最初の契約者で、彼とスティーブが取るに足りないと思うようなことについて長い長いケンカをしていたことを教えてくれた。“私達は、ガレージの中にワイヤーを固定する方法でケンカしてたんだ”と、彼は私に教えてくれた。
私が覚えている別の話は、ジョブズがMacintoshを黄色に塗った工場のフロアを持っていたということだ。つまり、この話は、あんなにも美しい製品は、美しい場所で製造されるべきだということだ。
私が2年前に中国を訪問した時、Appleの製品ラインを訪れる機会があった。それを運営する人物は私に秘密を誓わせたが(ジャーナリストを中に入れたことが分かったら彼の契約は解除される)、この工場の中にはいくつかのコンピューターブランドが並んで置かれていた。彼は、“Appleのラインを見てごらん”と言った。それを見た私は、それが他に比べて多くのステップとより優れた設備を持っていることに気が付いた。
ノート型パソコン用に毎週110万のハードドライブを製造するSeagateの工場を訪問した時には、ある1つのラインがより頻繁により長い時間テストされていた。どのラインかって?そのラベルには、“Apple”と書いてあった。
私が耳にし続けていることは会社全体におけるスティーブ・ジョブズの影響である。プレスリリースでさえも、完璧にするためにものすごいプロセスを経ていると聞いた。
それが実際にスティーブ・ジョブズを好きではない人達の理由にもなっている。彼は独裁者であり、あなたは必ず彼のやり方で物事を進める必要がある。彼にアイディアを売り込む時には、それを箱の中に入れて持ってきて、それを売るためにあなたが使用することになるマーケティングを使うのが望ましい。全てのことをとことん考えてなければならない。私の義理の兄弟はAppleで働いていたので、彼は、Appleがいかにして仕入れ先から確実に最高の機器を手にするかについて数々のストーリーを持っている。
しかし、この話はAppleに関することではない、スティーブ・ジョブズという1人の男に関することだ。黒いタータンチェックの服とジーンズを身に付けた人物。世界のレストランでも街角でもあなたが認識できる人物。(私はかつてMicrosoftで働いていた時に寿司屋で彼に会ったことがある。そこで彼の象徴的な人格に出会った。彼は、“私達のマネをする人達、こんにちは”と言ったのだ。私達はスターに感動しすぎて、みんながカメラを取り出すのを忘れた。)
彼は、多くの起業家が会社を始め自分達の素晴らしい製品を作ることに影響を与えてきた。“スティーブ・ジョブズに認められる製品を作りたいんだ。”と私に言ったCEOは1人だけではない。
少なくともあるCEOはスティーブ・ジョブズに自分達の製品を売り込むチャンスを手にした。私は、Flipboardの創設者兼CEOのマイク・マクキューがスティーブが自分の製品を気に入ってくれたと興奮していたのを覚えている。これはすでに8億ドルで会社を売ったことのある男の話で、彼は普段は穏やかで冷静な人物なのだ。
私がMicrosoftで働いていた時に、会社の副社長であるダニエル・ルーウィンと会うと、彼はスティーブ・ジョブズとの仕事に関する面白い話を聞かせてくれたものだ(彼らはNeXTを一緒に始めた)。“現実の歪曲の領域”に関する話が特に傑出していた。ジョブズがいかにして誰にでもどんなものでも売ることができたのかということや、彼がどうやってNeXTに何百万ドルも資金提供することを説得したかを教えてくれた。
ここで1つの疑問が浮かびあがってくる:スティーブ・ジョブズのいないAppleはどうなっていくのか?
私は、以下のパートにAppleを分散する必要があると考える:
1. デザイン作業
2. 研究開発ラボ
3. サプライ・チェーン
4. マーケティングチーム
5. 小売店と販売
これらのいずれもがスティーブ・ジョブズの退任によって変わることはない。なぜって?今、Appleには“スティーブ・ジョブズならどうするか?”という文化を持っているからだ。彼らは、準備が整う前に製品を世に出すべきではないことを知っている。彼らは、HP/Palmチームが早く出荷しすぎ、さらには発表を早くしすぎたことが理由で失敗したことを知っているのだ。
製造業が世界中のオーディエンスを市場として売り出す方法を見つけ始めている時に、コスト面で有利な中国に勝つチャンスを得たいなら、その他もろもろのことで成功しなければならないことを彼らは知っている。
彼らは、リスクを負い、業界全体を変えなければならないことを知っている(もし、彼らが、過去10年で携帯電話市場やタブレット市場やパソコン市場を作り直してきたのと同じ方法で、この秋にTV市場を完全に変えたとしても、私は驚かないだろう)。
彼らは、他の市場より先に製品を作り続けなければ仕事がなくなることを知っているのだ。
しかし、もうスティーブ・ジョブズが宣伝マンになることはないだろう。それは大きな損失である。なぜなら、彼らが私達に何かを売ろうとする場合に、その新しいアイディアに私達に興味を持たせることは簡単ではないからだ。Appleは、他の全ての企業と同じように言葉に詰まりながら質素に再登場するのかもしれないし、それが新しいCEOティム・クックにとっては心配で眠れない要因である。
しかしながら、私にとっては、スティーブ・ジョブズがiPad 2を発表するのを見た時にそれは全て一周して元の位置に戻った。そこには自らに比類なく適任のことをしている男がいて、私は畏敬の念を抱いてただ座っていた。パフォーマンスの後、PR担当のケイティー・コットンに連れられて、私はスティーブの所に行き、彼と握手をし、“あなたがこれまでに私達にしてきたこと全てに感謝したい”と言った。
それは、私のスティーブへの敬意を表する言葉だったし、前列に座れて良かったと思う。もし写真を撮るために後方にいたなら、彼がドアから去る前に握手をしに前に行くことは諦めなければならなかっただろう。
スティーブ、私はあなたの幸運を祈ると共に、あなたがこれからする全てのことに大きな喜びを見つけ続けることを願っている。
この記事は、The Next Webに掲載された「A front row seat to Steve Jobs’ career, by Robert Scoble.」を翻訳した内容です。
ロバート・スコブルの昔話は面白おかしく読みましたが30年前から“loose lips sink ships(情報を漏らせば船は沈む)”の張り紙がAppleに張ってあったとは流石というかなんというか。ソーシャル全盛の現代をあざ笑うかのようにスティーブ・ジョブスの独裁主義で快走はおろか世界No.1の時価総額企業にまで成長したAppleですが、スコブル氏は“私達のマネをする人達、こんにちは”と挨拶されたにも関わらず、その未来を思ったよりポジティブに見ているようですね。スティーブ・ジョブズが宣伝マンにならないことは大きな損失だが、Appleには“スティーブ・ジョブズならどうするか?”という文化が出来上がっている。ジョブス無き後、この文化をいつまで続けられるかがAppleが世界に君臨し続けられるかの勝負所かもしれませんね。しかしスコブル氏、ジョブスを「製品の美しさを理解するために製品の背部を見ることを私に教えてくれたたった一人の人物」と表したのは流石の表現でした。 — SEO Japan
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