今日のゲスト投稿は、Tac Andersonによるものだ。Tacは、Waggener Edstrom EMEA のデジタル戦略部長で、NewCommBizで定期的にコミュニケーション、テクノロジー、ソーシャルメディア、開発動向に関するブログを書いている。最近Tacはシアトルからロンドンに引っ越したばかりだ。彼の今日の投稿は、私にとって懐かしく大切な観念に関することだ。
私はいつも、ルールを作りたいという人達の要求に興味をかき立てられてきた。最近私は家族と共にイギリス、ロンドンに引っ越してきた。そして、イギリス人がこれで有名なことを知った。イギリス人は、近代スポーツの多くへの“投資”に大きな功績が認められているが、彼らは、正にたくさんの既存の人気スポーツに存在するルールを形式化したのだ。
英語という言語を見てみると、大半がドイツ語とフランス語を組み合わせて作ったものだ。私は歴史学者でも言語学者でもないが、私の理解では、ローマ人が去った後に侵攻したドイツの部族がブリタニア中に小さな王国をたくさん作っていた。ノルマンディーのフランス人が次第に野蛮なドイツ部族を制御するためにやって来て、最初の支配階級となった。しかし、長い年月の(何世紀にも及ぶ)大混乱と親交を経て、初期の英語が形成された。シェイクスピアの時代を見ても、大部分の文法がそこにあったが、綴りはまだそれほど重要なことではなかった。
しかし、次第にルールが決められ教えられ、今では、ブログ上の他人の文法や綴りを修正して生活するたくさんの人がいる。これらのルールが可能にさせたことは、読むこと書くことの両方において英語という言語を広く教えることだ。これより前は、読み書きは上流階級の贅沢なことだったのだ。
英語は、新しい言葉が追加され、変化し続けているが、イギリス英語とアメリカ英語ができて何百年経った後でも、どちらかを知っていればもう一方を(ほぼ)問題なく読むことができる。
しかし、確立されたルールがなかったら、この2つの言葉はかなりかけ離れていたことだろう。酷いロンドン下町訛りの人々が支援するBT(ブリティッシュ・テレコム)を聴くことと同じ位(私はこれを直接体験して知っている)に認識できなかっただろう。
少し身近な例を見るために、マーケティングを選んでみよう。
マーケティングの世界は、ルールブレーカーの集まりであるとうぬぼれるのが好きで、それは会計士と比べれば真実かもしれないが、実際には私達は、大部分がルールを作る人と従う人から成る専門的職業だ。
例えば:何十年も前のマーケッターが、1000人当たりの広告費(CPM)という基準を広告を売買する方法として生み出し、その基準は広告の価値やROIを測定する方法としては実質的に役に立たないにもかかわらず、未だに私達はこの基準に執着している。実際には、自分達のPR範囲の価値を測定するために広告等価モデルを使おうとする下手なPR実行者もいるほどだ。
マーケッターは、公的ルールとほぼ同じ位に私的ルールを愛する。世界中のマーケティングマネージャは、マーケティング最優良事例(ルールのまた別の形)に一喜一憂し、ここ数年はソーシャメディア関連の最優良事例を見つけよう作ろうと躍起になっている。
それ以前は、ソーシャルメディア採用の不足は、最優良事例―またの名をルール―の不足が大きな要因だった。近年、私達は、企業採用を可能にした数え切れないほどのソーシャルメディア最優良事例とそれに続く基準を作りだしてきた。
話をイギリスとアメリカに戻そう。アメリカ革命戦争を見ると、どうやって農民の集まりが偉大なイギリス軍を倒したのかと簡単に疑問を持つ。それは理屈に合わないことだ。しかし、もしあなたがその頃の戦争について何か知っているなら、戦うための“適切な”方法とは、素敵なユニフォームを着て綺麗に並んだ隊列で開けた戦場に向かって行進し、礼儀正しくお互いに打ち合うことだったのだ。
脱税するアメリカ人は、そんな方法で勝つわけがないと知っていたので、木の陰に隠れ、ゲリラ戦を展開したのだ。
言語の話に戻るが、ジャマイカの言葉を見ると、それは英語の形態をしている(聞いただけでは決して気付かない)。実際、ジャマイカの公用語は英語であるものの、“ジャマイカ語”は独自の言語であると言語学者は考えている。それは、奴隷所有者が自分の奴隷に英語を話すように教えたが、奴隷達が自分達のコミュニケーションを秘密にしておくために強いアクセントがつけた独自の英語の話し方を考案したのが始まりだった。彼らはルールを破ったのだ。
数年前、ソーシャルメディアは、ソーシャルメディアのルールブレーカー(ちなみにその多くがマーケティング出身ではなかった)によってすぐさま採用された。大部分の企業が、企業とメディア間の固くルールに縛られたプロセスを介してメッセージを発信することを重要視していた中、ソーシャルメディアを採用した企業は、全てのルールと費用を回避して、顧客と直接やり取りすることが出来たのだ。
しかし、ソーシャルメディアはすぐに、測定する必要性の副産物としてルールに縛られるようになってきている。
私はルールに縛られた自分の友人を笑い物にするかもしれないが、本当は私にもそれが必要なのだ。私達はルールを必要としている。ルールは良いことなのだ。しかし、ルールを破ることも良いことなのだ。
私達は、ここ数年間、たくさんのルールを作ることに費やしてきた。それは良いことだ。しかし、私は、ルールブレーカーにルールを破り続けることを奨励したい。そして、ルールを作る人(通常、マネージメントや予算の責任者の立場にいる人)は、ルールブレーカーをはねつけないで欲しい。彼らを奨励し続け、リスクを負う準備をするのだ。
ルールに従う人達からのルールを破ろうとする人達に反撃する強い要求が常にある。最近の例として、TechCrunchとMike ArringtonのCrunchFund周辺の騒ぎを見てみよう。
なぜTechCrunchが従来のプレスを打ち負かし、彼らをひやひやさせているのかについて、MGはこう書いた:
従来のジャーナリストはこれを知って愕然とするかもしれない。でも、これがTechCrunchがテック関連の報道でうまくいっている大きな鍵なのだ。私達には、彼らにはあり得ない早さと勢いがある。なぜなら、彼らは古いルールに固執しているからだ。それらの古いルールに良い所はあるのだろうか?もちろん、ある。しかし、私の考えでは、私達が仕事をするやり方の恩恵のほうが彼らが仕事をするやり方の恩恵よりもずっと上回っている。
文字通り数時間後、MGは、これらのルール破りがAOLがMikeを失脚させることにつながった(AOLはこのファンドの投資家でもあったが)とアナウンスする記事をTechCrunchに書いた。
ルールは理由があってそこにある。しかし、ルールは破られる必要もある。それをいつ破り、いつ守るのかがポイントだ。(私は、人間の権利に関する基本的なルールについて言っているのではない。)
私の原則は、もしも、あるルールを破ることが人々を怖がらせたり、大きな感情的な反応を引き起こすなら、それは恐らく、もっとよく見るべき良いものであるということだ。
この記事は、BRASS TACK thinkingに掲載された「Why We Need Rule Breakers and Rule Makers」を翻訳した内容です。
改めてこの名言の意味・力を感じる記事でした。「ルールブレイカ―」になって是非世界を変えてみたいものですね。ちなみにこの記事、元々、「ルールは作って破るもの」というタイトルだったのですがグーグルのサジェスションで「ルールは作って破るもの」と表示されていたので変更してしまいました。SEOおたくの性とということでお許しください。それより「ルールは」で出てくる最初のサジェスションが「ルールはお使いの言語には対応していません。」なのは未だに謎です。。。 — SEO Japan
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